概念構造は語彙に記載されているか(4)

(3)の続きです。
今回でこのシリーズはとりあえず終わりにしようと思います。
  
4. 同音異義語と多義語の質的な差異に関して
ここでは最新の脳科学研究を紹介し、それが語彙意味論にどのような示唆をもたらすかを検討する。
 

The representation of polysemy: MEG evidence
Pylkkänen L, Llinás R, & Muyphy GL
J Cogn Neurosci. 2006 Jan;18(1):97-109.

 
Pylkkänen, Llinás, & Muyphy (2006) は MEG (magnetoencephalography) を用い、セマンティック・プライミングパラダイムで、名詞における同音異義語と多義語名詞の脳内処理の違いを計測した。被験者が行う課題は提示された句が意味をなすかどうかの判断である。彼らの多義語に関する仮説は ”single entry” と呼ばれるもので、「多義語は同一の語彙登録を持ち、同一の心的辞書の見出しにアクセスした後に意味の選択が行われる」というものである。逆に同音異義語は別々の語彙登録を持つと考える。つまり"paper"(紙)と"paper"(新聞)は同じ単語なのだが文脈によって意味の変わってくる多義語と捉え、"bank"(銀行)と"bank"(土手)とは音が同じだけで意味的には全く関連のない同音異義語で、心的辞書にも別々のエントリーを持つと考えるのだ。
 
                     刺激例
            (フォント表示を小さくして見てください)

         related prime    unrelated prime     target
homonymous   river bank      salty dish       savings bank
polysemous    lined paper      military post     liberal paper
 semantic       lined paper     clock tick       monthly magazine

 
実験の結果、同音異義語も多義語も、どちらも関連する語の判断を促進させた。例えば ”river bank” (土手)は ”saving bank” (銀行) 、”lined paper” (「紙」) は ”liberal paper” (「新聞」) に対する判断の反応時間を有意に短縮させた。これは先行研究のとおりであるが、脳活動に注目してみると興味深いことがわかった。
単語提示から 350 ms ほどで側頭葉に見られる M350 と呼ばれる活動は、語彙頻度に反応選択性を見せ、語彙へのアクセスを反映したものであるとされている。
同音異義語がプライム刺激である場合と音も意味も関連のない語がプライム刺激である場合 (=コントロール条件) とを比較すると、同音異義語条件では、ターゲット刺激に対する左半球の M350 の潜時が、優位に遅かった。右半球の M350 の潜時に関しては有意差がなかった。
これに対し多義語がプライム刺激である条件と音も意味も関連のないコントロール条件との比較では多義語条件のほうが M350 の潜時が有意に早かった。この効果は、音を共有しないが意味的に関連のある語をプライム刺激にした場合 (“lined paper” → “monthly magazine”) のプライミング効果と同様である。しかし右半球のM350 の潜時を比較すると、多義語条件はコントロール条件よりも有意に遅いのに対し、意味的関連条件ではコントロール条件と有意差は観察されなかった。
以上の結果より、左半球の M350 は語彙へのアクセスを反映し、意味的関連性が活動を促進していることがわかる。同音異義語ペアは意味的に関連性がなく、別の語彙登録を持つので活動のプライミングは生じない。それに対し右半球の M350 は同一の語彙に関する意味の選別を反映していると考えられ、多義語条件では関連した意味との競合が生じているために潜時が遅れるものと考えられる。
Pylkkänen, Llinás, & Muyphy (2006) は多義語に関する ”single entry” 仮説を実証したといえる。彼らは多義語の異なる意味に関しても語彙登録に記載されていると考えている。しかし、Gennari & Poeppel (2003) と同様、このデータ自体は Pustejovsky と Fodor & Lepore の対立する意見のどちらかに与するものではない。このデータの重要な点は、同音異義語と多義語が質的に異なる処理を受けることを示し、また、何らかの方法で多義語内での意味の選別について説明する必要があることを示した点である。言語の脳科学研究の強みは脳内処理過程の時間と場所の詳細を示すことで、これまで曖昧な扱いを受けていたカテゴリー(例えば言語知識と世界知識)の質的な差異を明らかに出来ることである。まず行うべきことは、現象を定量化し、その構成要素を単位によって記述し、語彙意味論のリアルタイムのモデルを作ることである。その詳細が明らかになれば言語学理論への有意義な還元も可能となるだろう。