「脳の話:言語と認知」

と題された教員談話会を聴いてきた。

 

「脳の話:言語と認知」
信原幸弘・酒井邦嘉

今回は、脳の情報処理をめぐる根本的な問題をめぐって、哲学者と脳科学者が正面切って論争を行う。
信原:「言語は構文論的な構造をもつ点に顕著な特徴があるが、そのような言語的表象は脳によってどのように形成・理解されるのだろうか。脳の情報処理モデルとしては、構文論的構造をもつ表象を形式的に処理する過程として認知を捉える古典的計算主義よりも、そのような構造をもたない分散表象の処理過程として認知を捉えるコネクショニズムの方が適切である。コネクショニストシステムとしての脳によって、構文論的構造をもつ言語的表象がいかにして形成・理解されるのかを考察する。」
酒井:「コネクショニズムは神経回路の1つのモデルであり、このモデルの分散表現でシンボルを扱えないことは、脳が同様の制約を持つという根拠にはならない。言語のシンボル操作が脳に局在するという最新の知見を紹介する。」
参考:信原著『考える脳・考えない脳―心と知識の哲学 (講談社現代新書)』(講談社現代新書)
   酒井著『言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか (中公新書)』(中公新書)

面白かった。哲学者と科学者のカラーの違いがはっきりしていて、かみ合うようでかみ合っていなかったけれど、僕はどちらの著書も目を通しているので、両方の立場に立って考えることで、大分頭の中が整理できた。
最初に話したのは信原先生。観衆はほとんどが理系の教員や学生ばかりでなかなかやりづらかったのではないか。特に、表象主義の立場に立つのだけれど、規則の体系的な神経的表象を認めない、というコネクショニストとしての立場は、理系の人たちにはわかりにくかったのではないか。結局、入力、出力が離散的であることが暗黙の前提になっている以上、その計算の内部表現がどうであるかに関しての哲学的な議論は無駄なように感じてしまうようだ。もちろんコネクショニズムを支える思想や応用上の利点もあるのだけれど、具体的な言語処理の話になってくると、やはり経験的データがないとどうしても弱い。
非線形複雑系研究の池上高志先生が途中でコメントして理系の人たちに解かり易い要約をしてくれた。と思ったら池上先生にとっての対立点は「生得主義 vs. 経験主義」だったらしく、そこが信原先生には不満だったようだ。信原哲学においてはあくまで「シンボル計算 vs. 分散表象」に拘りたかったらしい。なかなか異分野同士の交流は難しい。
一方、後攻の酒井先生は科学者らしく経験的データで押す。その量は確かに膨大で圧倒的なのだけれど、実は、その中には、決定的なシンボル操作の証拠はないのだ。人間のみが自然言語の階層的シンボル操作(に近いこと)が出来るのは確かなのだけれど、それがどのような計算機構に則って行われているかは、実は、はっきりと明証されてはいない。文法処理に特化したモジュールが存在しているとしても、その文法モジュールがコネクショニスト・システムで駆動している可能性は排除しきれない。
その後の議論で信原先生が興味深いことを仰っていた。仮に脳機能計測の技術が進歩したとしても、コネクショニスト・ネットワーク的な脳の作動を検知できる可能性自体が排除されてしまっている可能性はないか、という問題だ。これは哲学者ならではの視点だ。例えば fMRI で一般的な差分法を続けている以上は、モジュール的な作動しか捉えることが出来ない。PCA などにしても、神経活動の顕著な次元を抜き出してくる以上、やはり、ある程度システマティックな神経表象が行われていることを前提にしているはず。とはいえ分散表象としての神経活動をデコーディングするうまいやり方ってあるのかしら。確かにコネクショニスト・ネットワークはベクトル表現にはなっているのだけれど、それぞれの成分が独立した意味を持っているわけではないのだ。
それから恐らく物理の先生だと思うけれど、「量子波が収縮した結果しか私たちは得られないわけだが、それをデコーディングして情報表現を理解するなんてオプティミスティックだ」という批判を何故か信原先生に向けていたけれど、そんなミクロな話は誰もしていないし、波動関数の収縮が言語処理に関わって来るなんてペンローズすら考えていない(もしくはペンローズしか考えていないか)と思うので、ちょっと的外れだった気がする。少なくとも我々は神経の電気的発火の情報論的な意味についてすら把握していないのだ。
後は脳機能計測に関する具体的な話が続く。分解能がどれくらいあれば経験的に実証できるのか、など。
最後に信原先生に個人的に質問。「Smolensky はコネクショニズムのアプローチでも離散的なシンボル表現を扱え、統語論的な規則体系を表象することが出来ると主張しているわけですが、そうなると対立点が不明になると思いますがどうお考えでしょうか?」。信原先生によれば、あれはあくまで古典的計算主義のエミュレートであり、その内部表現は完全にコネクショニスト的なものだ、ということらしい。う〜む、なるほど。実際にシミュレーションしてみないと実感できないことは沢山あります。