脳の中の代数学者

The Algebraic Mind: Integrating Connectionism and Cognitive Science (Learning, Development, and Conceptual Change)
ゲアリー・マーカス Gary F. Marcus 『心を生みだす遺伝子』は最新の分子脳科学の知見から精神の発生学に挑んだ良書だった。同著者の 『The Algebraic Mind』 はどうやら翻訳は出ていないらしい。コネクショニズムと記号操作モデルを比較的フェアに比較していて、ただのコネクショニズム批判ではなくこれからの代替モデルの展望へと繋げており面白い。まだ読書中だけれど、一章の「免責条項」 disclaimers と題された節の拙訳をどうぞ。

はしがきで主張した点を踏まえて、もう一度次のことを強調させてほしい。僕はあらゆる形のコネクショニズムが失敗するとは言っていないということだ。むしろ可能なモデルへの道筋を提示し、もっとも成功する可能性の高いものを示そうとしているのだ。
このイントロダクションを2つの警告で締めくくろうと思う。ひとつは僕の実証的な焦点は言語と高次認知についてのもので、知覚や運動といったものについてではないということだ。これは言語や認知が僕の精通している領域だからだというのもあるし、これらの領域がもっとも頻繁に記号操作の視点で説明されるからでもある。もし記号操作が言語や高次認知において何らかの役割を果たしていないのなら、記号操作が他の領域で働いている可能性は低いように思われる。もちろん、逆は真ならず、だ。記号操作が他のあらゆる領域で全く役割を果たしていなくとも、言語と認知において鍵を握っているということは完全に可能だ。ここでは他の領域における議論を落ち着かせようとするよりもむしろ、僕の議論が他の領域における記号操作の役割に関する似たような疑問を研究しようとしている人たちのガイドになればいいと思っている。
ふたつめは、この本の一部が批判になっているとすれば、それは多層パーセプトロンに関するものであって、いまだ現れていない記号操作の代替案に対するものではありえない、ということだ。このような題材を発表すると、心が記号操作をしているという証明を僕に要求してくるような聴衆に出くわすことになる。もちろん、そんなことは出来やしない。せいぜい僕に出来るのは記号操作が事実と一致していてこれまでの代替案は不適切であることを示すことぐらいだ。未だ出現していない代替案を否定することはいくらなんでも出来やしない。この状況は他の科学の分野と全く同じだ。反証は決定的だけれども、確証は更なる研究への招待状でしかないのだ。

 
あわせて読みたい

A neurolinguistic model of grammatical construction processing.
Dominey PF, Hoen M, Inui T.
J Cogn Neurosci. 2006 Dec;18(12):2088-107.

北海道で京大の乾先生と少し話したのだけれど、言語の記号操作的な側面がどのように脳に実装されているかを、そろそろ真面目に考えなければならないのではないかということで盛り上がった。イメージングだけでは手の出せない問題だし、僕は少し途方に暮れているのだ。とりあえず取り掛かりとして、この論文を今夜もう一度しっかり読んでみる。ローカル線の駅の夜勤は結構暇なのだ。