マイスターを侮るな

日本武道館で博士課程の入学式。
千鳥ヶ淵の桜はこの数日度重なった風雨でほとんど散っていたけれども、枝にうっすらと桜色が残っている。いい加減、入学、おめでとう、などという文句も気恥ずかしく、煩わしくなった歳なので、この程度の晴れやかさ、ちゅうくらいのめでたさが相応しい。
修士課程の入学式には出席しなかったので、学部の入学式以来の入学式。会場も同じなので、式典というものに対する考え方が明らかに変わったことに気が付く。
なべて式典とは滑稽なものだ。絶望的に似合わぬ角帽とガウンに身を包んだ壇上の教授陣の体躯は貧弱で物悲しい。ニュルンベルクのマイスタージンガーワーグナーの壮大な響きも白々しい。日本武道館という会場自体が、もう、いたたまれない。昔であればこういった厳粛さの演出の虚構を内心でこれ見よがしに暴き、したり顔をしていたところだった、けれども、この七年の間に、「かのように」振る舞い、引き受けることの美しさと苦さも、少しは、知ったようだ。自分がどこに立っているのかについて、もう無知とは言えないし、そうであれば、自分の立つ足場に蹴りを入れる勇ましい行為も、結局は、ただ地団駄を踏むようであって、愚かしく、馬鹿馬鹿しい。今の僕は、この不恰好な、頼りない、足場を何とか活かして、美しい建造物を創りたい、と思う。足場を外すのは、それからでも、遅くはない。

暖かいので散歩がてら、久々に本丸跡でも、と皇居東御苑へ足を向けるも、金曜日は閉苑でがっかり。踵を回らし神保町へ。明倫館でデイヴィッド・マーヴィジョン』、山陽堂で『北一輝思想集成』を購入。古本屋巡りで汗ばんだので、さぼうるでアイスコーヒーを飲む。最初から、甘かった。苦手なのだけれど、こういう喫茶店では、まま、ある。そういえば、いつも、ここでは生ビールばかり頼んでいたのだった。甘いコーヒーを、苦みばしった顔で、ちびり、ちびり、とすすりながら、デイヴィッドマーヴィジョンデイヴィッドヴィジョン・・・ぶつぶつと繰り返していると、さぼうるの薄暗い片隅でジョイ・ディヴィジョンがいつの間にか演奏を始めていた。

歩くべきか、歩かざるべきか。イアン・カーティスの言葉は、相変わらず、よく分からなかったけれども、規範から事実は導かれない。僕は、今日も、ただ、歩いている。