悦ばしき知識:鏡について

Uで彼は、絵画に政治がコード化できるのを初めて知り、ソナタが生けるヒエラルキーのように幾層にも分かれていくのを初めて聞き、文章がリズミカルに連動していくのを初めて感じた。他人の肉体の濡れたシャミーレザーに初めて自分自身を埋め込んだのもここUだ。ここのはかない四年間で、初恋は溶解し、昇華して、蒸発した。
彼はこの町で最愛の脳科学を裏切り、現代思想と寝た。*1

 
先日の特別講演のこと。
ミラー・ニューロンの概説後、それに絡めてラカン鏡像段階や、タルドの模倣、バウマンの液状化した近代などが語られる。ネグリドゥルーズヴィルノが参照される。神経科学と現代思想との俗悪な結託がもたらした生温い共感が会場に拡がる。馬鹿馬鹿しい。僕のミラー・ニューロン・システム(あるとして)は全く活動を示さない。
共感のメカニズムが神経科学的に説明されようとし(そしてその試みは実際にはまだ夢半ばなのだが)、そして、神経科学が脱中心化と連帯の思想へと接合されようとするとき、どうして、彼ら連帯の善導者たちの顔が安堵と歓悦で充たされるのか。僕にはわかった。彼ら共感の啓蒙家たちは、殆ど自らの共感の能力に自信を持たないのだ。共感を高らかに謳うことに疚しさを覚えている。そして独り共感を叫ぶことを恐怖しているのだ。
考えてみよう。顔選択性ニューロンの発見によってレヴィナスが安堵しただろうか。その発見によって、彼の思想の価値が幾らかでもが増減したなどということがあっただろうか。答えは否である。神経科学の発見を待つまでもなく、僕は、確かに顔を見ているし、レヴィナスも、そうであったはずだ。
同様にして、神経科学の発展を待たずして共感は現に可能である。いかにして共感が可能であることが示されるのか。それは自らが共感することによってのみである。はっきりいっておく。善導者たちよ、共感を謳うのならば、神経科学にその憑拠を求めるべきではない。共感は、まさに、あなたたちとあなたたちの内臓から生まれるのである。
 

まことに、きみたちはかずかずの高貴な言葉で口を充たす。そうすれば、きみたちの心が溢れていると、われわれが信じるとでもいうのか、きみら嘘つきどもよ?
・・・
さあ、まず敢えてせよ、きみたち自身を信じることを―きみたちときみたちの内臓とを〔信じることを〕!自分自身を信じない物は、絶えず嘘をつく。*2

 
二年前、駒場にやってきたリチャード・パワーズがミラー・ニューロンを手がかりとして村上春樹を読み解いていったとき*3にも違和感は覚えたのだけれど、メタファーに導かれて幻想を描く作家としての役割というもの、そしてまた科学者も幻想に駆動されることがあるということを鑑みて、ナイーヴに批判するのは無粋だろうと思った。けれども、先日の講演に僕はっきりとした危険を感じた。闘争のための実践的な思想を未熟な神経科学に結び付けて語ることは不誠実であって、双方にとって害をもたらす行為でしかない。
 

A mirror up to nature.
Curr Biol. 2008 Jan 8;18(1):R13-8.
Dinstein I, Thomas C, Behrmann M, Heeger DJ.

より要旨を抜粋翻訳する。Heeger は主に視覚の脳機能イメージングで数々の重要な発見をしてきたひとで、fMRI の方法論には相当のこだわりがあるはずだ。
 

ミラー・ニューロンは、10年ほど前にマカク猿において最初に記録されました。ミラー・ニューロンの発見によって、人間におけるそれらの機能について、いくつかの推測が形式化されました。観察された行為の意味や意図の理解、模倣による学習、共感、「心の理論」の形成、そして言語発達などにミラー・ニューロンが関与するといった提案がなされました。ミラー・ニューロンの機能障害がもたらす結果についての仮説も作られました。主要なものは、発達過程における機能障害が、自閉症スペクトラム障害 (ASD) に関連した社会的・認知的病状の多くに結びつくという概念です。しかし、魅力的な理論についての多くの研究が10年間なされてきたにもかかわらず、それらを支援する証拠はほとんどありません。

 
ミラー・ニューロンは重要な発見ではあるけれど、その機能はまだ未知である。nhp(non-human primates: ヒト以外の霊長類)における電気生理の実験はまだ 4 報しか出ていない。ミラー・ニューロンが脳のシステムの中でどのような因果的効力を及ぼしているかは検証されていない。脳の中には multimodal な(視覚と聴覚など複数の感覚に応答する)ニューロンは沢山あり、ミラーニューロンはいわばその表れのひとつとも言える。視覚性ニューロンと運動性ニューロンとのコネクションによりその性質の発現は十分に想定可能である。問われなければならないのは、ミラー・ニューロンの出力がどのように生体システムに生かされるかであり、それはいまだ解明されていない。薬理学的にミラー・ニューロンの非活性化するなどして、ミラー・ニューロンと行動との関係を調べる必要がある。
またそもそも人間にミラー・ニューロンが備わっているかどうかは実証されていないfMRI ではミラー・ニューロン・システムの実在を検証するパラダイムが確立されていない。通常の差分法では必要条件と十分条件の切り分けが不可能であり、視覚や言語、ワーキングメモリに関連すると考えられる部位の活動と、想定されるミラー・ニューロン・システムの活動とを分離することができていない。にもかかわらず腹側運動前野 ventral premotor (vPM) や 頭頂間溝前部 anterior intra-parietal sulcus (aIPL) の活動はマカクとの位置の相同性から無批判にミラー・ニューロン・システムのものと解釈される倒錯すら生じている。
そして、自閉症スペクトラムはそもそも均一な自然種とはいい難く、ミラー・ニューロンの機能不全といった単一のパラメーターで説明可能なものではない。いずれにせよ、ミラー・ニューロン・システムと自閉症スペクトラムとの関連に関しては何ら決定的な証拠はない。少なくとも、自閉症スペクトラムを説明可能な他の対立仮説との間で説明力の優劣を比較する必要がある。
著者らは adaptation method と呼ばれる、より感度の高い fMRIパラダイムを用いてヒトにおけるミラー・ニューロン・システムについて調べたが、肝心の cross-modal な adaptation を示す voxel、つまり運動の実行と観察との両方に反応する神経集団の発見には至らなかった (Distein et al., 2007)。
 
神経科学におけるミラー・ニューロン研究の現状はこのようなものだ。あまり人文系の壮大な夢を仮託したら、せっかくの鏡が割れてしまうのではないだろうか。鏡が割れたときに、実像が無事である保障はない。現代においてはそもそも実像と鏡像の区別は存在しないのだから。

*1:リチャード・パワーズガラテイア2.2』より一部改変して引用。

*2:ニーチェニーチェ全集〈9〉ツァラトゥストラ 上 (ちくま学芸文庫)

*3:2006 年 3 月 25 日。このときの講演内容は『新潮』 2006 年 5 月号』に「ハルキ・ムラカミ−広域分散−自己鏡像化−地下世界−ニューロサイエンス流−魂シェアリング・ピクチャーショー」として収録されている。「春樹をめぐる冒険」も参照