多摩川線夜想曲

ホームへ降り立って、なんだかくすぐったいような罪悪感を覚えて立ち止まる。多摩川に程近いその駅には栗の花の匂いが立ち込めていた。闇の中に白い花がぼうっと浮かんで見える。幼いころ僕の家の前には栗畑が広がっていて、この季節には家の中まで匂いが立ち込めていた。栗畑が潰されて、山本直樹コピーアンドペーストで描くような、建売の詰まらない住宅群に変わったころ、僕は、再び、栗の花の匂いを発見する。すべては成り行きに過ぎない。僕は、何も、悪くない。
僕の生は薄氷の上を歩むようなものであって、その幕引きのためにわざわざ手を煩わせるまでもないのに、すべてを、無に帰して、逃げ出したくなる。しかしどこへ逃げたら良いのだろう。逃げ場という概念は生においては撞着である。細い糸を撚り合わせるようにして何百万年も続いてきた人類の歴史は、時に美しい奇跡の様にも思え、時に激しい嫌悪の対象へも変わる。
終電後のホーム清掃で、いつもより多い七つの吐瀉物を片付けた。胃液とソースの交じり合った強烈な匂いに栗の花は闇の奥へと霞み消え行く。作業量が多かったためか、社員がガリガリ君をおごってくれる。今年初めてのアイスが歯茎に染み、さっきまでの苛立ちと共に喉の奥で溶けてゆく。僕の罪の意識は、所詮、吐瀉物とガリガリ君で掻き消えるように、曖昧で儚い。


Is it wicked not to care? / Belle and Sebastian