旦那、免許めぐんでくれんかね?

M. Soupcoff "Brother, Can You Spare a License?" Regulation Summer 2005 より。
小泉義之先生のブログで言及されていたもの。

望まないことをする人々をとめるにはいくつものやり方がある。たとえばそれを差し控えるように丁寧に頼む。訴訟や悪い風評をちらつかせて彼らを脅す。あるいは政府なら免許を取るように要求する。
最後のオプションはあまり大したことがないように聞こえるけれど、実は信じられないほど有効な抑止手段なのだ。政府が免許を与えるにあたってのプロセスの一部である形式や線や規則や丸*1、それから、そう、官僚主義的なお役人たちを考えれば、自分自身を監督官庁にさらすより、貪欲な弁護士かもう少しマイナーな安手のエージェントに金を払うのは当然だろう。
これがどうやらミネアポリスが当てにしているもののようだ。当市は、公的に乞食を行なうために政府の免許と身分証明書を得ることを地域の乞食に求める案を検討している。疑わしい?
「それは人々に (乞食を) させないための策略ではありません」とミネアポリス警察署長ウィリアム・マクマナスは主張する。「それはもうちょっとだけよく (乞食を) 管理できるようにするためのものにすぎないんです」。とはいえ、それは、100,000ドルの預金を要求する高級車販売権が、新車の試乗会から貧困者を弾き出す策略ではないと主張することと少し似ている。それはテクニカルには正しいかもしれないが、結果は同じだ。つまり、最新のレクサスをチェックする生活保護需給者のママはほとんどいない。
またいずれにせよ、マクマナスや他のミネアポリス当局者は、ほとんどの乞食が登録・撮影のために官庁まで毎年一回旅することがほとんど不可能なことを十分過ぎるほど知っている。彼らは概して、仕事や家庭あるいはまともな散髪を維持するといった基本的なタスクで失敗した社会の周縁の人々だ。10 セントを通行人に乞う権利のために取り締まりスケジュールに順応し、進んで ID タグを掲げることが彼らに本当に期待されているんだろうか?
ひとことで言えば “No” だ。Pioneer Press によればミネアポリス市議長のポール・オストロウ (この人物は乞食免許案に非常に熱心だ) さえ、そもそも乞食が免許を申し込むようにどうやって市が説得するのかは実際には分からないと認めた。どのみち、それは周囲の圧力や公共事業広告がうまくいくような類のものではない。
よりありそうな展開としては、乞食たちは町を去るか、あるいは逮捕の対象となる無免許の乞食になる、というものだ。どちらの道も、市が正面切って直接乞食の言論を弾圧する (米国憲法修正第1項 *2 関するあれこれに苛立っている裁判官を不快にさせる行為である) 必要なく、乞食の不快から市民を解放する。
ということは、乞食免許は実際のところ単なる見え見えの責任回避なのだろうか?もちろん。けれども、この計画的な姑息な措置が、率直に言って、ちょっとした安堵の種だということを認めないのはリバタリアン的な人にとってさえアンフェアだろう。ひとは乞食が言いたいことを言う権利を十分に認めることができるけれども、それでも夜独りで歩くときに乞食に近づかれることを恐れる。ヴォルテールならこう言ったかもしれない。「私は命にかけてあなたの乞食権を擁護しよう。しかし、それは私があなたの臭いに同意することを意味しない」。
それでも、不快な (あるいは恐ろしい) 状況を除去する利己主義は、誰かのうるさい求め (「食べるためにお金をお恵み下さい」、「バリューセットをスーパーLサイズにして分けてくださらんかね」) をとめさせるために法律を用いるのに十分な理由にはならない。心のどこかで、僕たちはこのことを知っている。そして、政府も知っている。これこそミネアポリス当局が、乞食免許は乞食をやめさせるためではなく、むしろ「適切な乞食の手続き」を奨励するためであるとかそういった愚にもつかないフィクションを擁護するきまりの悪い立場に追いやられる理由である。
望ましいアプローチは、乞食によるフラストレーションや恐れと乞食の適法性の両方を地方政府が認めることだ。人を脅した乞食を (犯罪者の乞食というステータスとは全く無関係に、犯罪それ自体で) 警察に訴えることの容易さを保証することでそれは可能となるかもしれない。
言いかえれば、ミネアポリスへの僕の嘆願は、皆の権利を尊重し、人々がたまたま好きでないような法的な振る舞いを止めるための手段として免許に頼らないで欲しいということだ。
でもね、だからといって、乞うているんじゃないんだぜ。僕はそんな免許は今後一切取らないだろうからね。

追記:「乞食」 beggars という用語に関しては小泉先生のブログをご参照ください。今の日本ではほとんど物乞いってないと思うんだけれど、今後どうなるんだろう。あと上の文で気になるのはアメリカの beggars の犯罪率はそんなに高いのだろうか、という問題。もしそうでないのだとしたら、フラストレーションや恐れそのものを解いていく方策も重要だと思う。ここら辺は社会環境や文化の違いがあるだろうからはっきりとしたことは言えない。そういえば僕は自転車旅行中、京都の道端で寝ていたら明け方にホームレスのおじさんに「弁当でも食え」といって千円札を渡されたことがあった。ちょっと迷ったけれど、結局素直に頂戴してコンビニ弁当をいただきました。ごちそうさまでした。

*1:forms, lines, rules, hoops: よくわからないけれど色々雑多な手続きを表しているんだろう。

*2:言論の自由」条項