寄せてはかえす夜の波。

新大久保の韓国料理屋で I 先輩の友人たちと食事。みんな音楽好き、というか職業だったりするひとも。やっぱり radiohead 来日公演の反響は大きく、ここでもその話題でひとしきり盛り上がる。そして Perfume 聴け、と説教される。自意識が邪魔しているんだね、まだ若いね。あはは、その通りです。しっかしマッコリって全然酔わないなあ。あははははは。
解散後、I 先輩とふたりで歌舞伎町でさらに飲む。今はなき新宿リキッドの思い出。次第と暗鬱な話題に。日本の研究環境の閉塞感。失われていく生命。これだからブリティッシュ・パブは困る。いもとさかなの 揚げもんで 暗くならずに おらりょか ってんだい。電車もなくなってふたりで青梅街道を西へ歩く。まだ開発途上の中野坂下付近は、『太陽を盗んだ男 [DVD]』や『未来の想い出』の空気を残している。まだ夜は明けていない。僕らに相応しい風景。坂をのぼろう。
暁前のマクドナルドにて、真偽と価値の相対性/絶対性に絡めつつ観光・旅の暴力・欺瞞について語らう。先輩の確固たる価値観に対して手も足も出ない。圧倒されるも違和感は拭えず。価値とはそこまで静的なものだろうか?生と価値を並立させる議論はどうしてもトートロジカルなものになる。価値の安定性は単に生の安定を反映しているに過ぎないのではないだろうか。後日長文メールで議論の補足あり。改めて考えたい。
次の日は恐らく前日の流れからか、夢と現の狭間を彷徨いながらノージックユートピア論について考える。ユートピアの論理的可能性を示した功績は大きいのだろうけれど、資源の有限性を抱えた現実世界に適応可能なのかどうか、というのはまた別の問題なのだ。
そうこうしているうちに夜が来て踊り狂い、なぜだかすぐにまた夜が来て吉祥寺で久々のバンド練。リズム隊は缶ビール一本までに制限。次のライブは最小限の 3 ピースで行くことに決定。これもまた radiohead 効果かどうかはわからないが、モチベーションもあがり、プレーもまとまってきた。いよいよライブは一ヵ月後。横丁で酒を呷り結束を深め、解散。帰宅して遠き隣人 Lisbon22 くんと更に宴。観光・旅の暴力・欺瞞について改めて語り合う。他者を排除するものを排除すべきかどうか。「あの人は陰口を言うから嫌い」という陰口を言う人。といった集合論的問題が提起される。論理的には、排除志向のみであれば、ノージックユートピアの枠に包含可能なのではないか。問題は強制的に包摂しようとする帝国主義者。ふらりふらりと夜は更けて早 3 時。
おおつれえなぁ。明日こそやらなけりゃ。