ぼくたちの 感覚は どのようにして うまれてくるか。

Kandel, Schwartz, and Jessell (2000) 『Principles of Neural Science』 p. 22 より。

このように、 ひかりの 情報を はこぶ 信号は、においについての 情報を はこぶ 信号と おなじなのです。ここでぼくたちは 脳の はたらきの もうひとつの だいじな 原理に であうことに なります。活動電位 によって はこばれる 情報は その信号の かたちによって きめられるのではなく、脳のなかの 信号の とおりみちによって きめられるのです。脳は やってくる電気信号の パターンを 分析し 解釈しており、こうして、まいにちの みる、さわる、あじわう、かぐ、きく、といった ぼくたちの 感覚が うみだされるのです。

もっともなのですが よく かんがえると ふしぎです。どうして 「この とおりみちは ひかりに ついての ものだ」 だとか 「この とおりみちは においに ついての ものだ」といった くべつが 可能に なるのでしょうか。すこし レベルは ちがいますが Buzsaki は 体制感覚の 空間的関係性が どのように うみだされてくるかを つぎのように かんがえます。
 
Buzsaki (2006) 『Rhythms of the Brain』 p. 221 より

はっきりとした さししめしの システム なしには さまざまな からだの ぶぶん どうしの 信頼できる 計量的な 関係を 脳が つくりあげることは 不可能です。もし すべての 感覚器が むきずであったとしても、脳は 感覚刺激が 球から 来たのか、へびのような からだから きたのか、あるいは もっと べつの かたちから きたのかを みちびきだす ことは できません。したがって、脳の なかの すべての 空間的計量は 筋肉の 運動から うまれてくるものだと ぼくたちは 提案したいと おもいます。運動システムの みちびき なしには ぼくたちは、距離や ふかさや ほかの あらゆる 空間的関係を たしかめることが できません。

 
体制感覚内部の 関係性と にたように ひかりや においとの くべつについても かんがえることが できるでしょう。さいしょは 分別不可能な 信号であっても それに たいする 行動出力が どういった 作用・結果を もたらすか といった ちがいから それぞれの 感覚が 独自の いみを もつように なっていくのでしょう。環境の なかを うごき、そとの ものに はたらきかけることによって ぼくたちの 世界の とらえかた というものが かたちづくられていく、いや、むしろ、それによって「世界の とらえかたを つくりあげていく」のです。クオリアについて かんがえるのは ちょっと めんどうくさいので ここらで、やめておきますが、この ラインは 重要です。とりあえず なんちゃって 西田幾多郎のように まとめてみました。