MAKI OGASAWARA PHOTO EXHIBITION 『旅の空』 E&Y HOUSE


毎日のように僕が買い物をするセブンイレブンの前にある、何だかイカした建物。何年も気になったまま立ち入ることはなかったのだけれど、先日、入り口に "DESIGNTIDE TOKYO 2008" の立て札が出ていたので、買ったばかりのカップラーメン片手にふらっと立ち寄ったところ、写真展が行なわれていた。E&Y という家具屋さんのショールームらしく、こざっぱりとして遊び心のある空間の中にモノクロ写真が散在している。
 
飾られているのは小笠原真紀さんギリシャの小島の旅の写真。
夏の光に掠れる子供たち、犬、商店、木々。飛散した白い粒子が、地中海の光の眩しさを涼やかに表現すると同時に、その風景の忘却をも、また、焼き付けている。写真集『空の旅』にも写真と写真の間に、忘れ去られた旅の歩みのように、幾つもの空白のページが織り込まれている。僕が旅先で必死にカメラを振り回し旅の風景の忘却に抗おうとする裏で、こんなに清清しい写真も存在しうるのだ、と心を打たれた。記録・所有の欲望から可能な限り自由な写真があるとしたら、このようなものではないだろうか。
旅は意識的・目的的になされる x-y-z 軸上の移動である。けれども、旅に出ようが出まいが、意識しようがしまいが、常に僕たちは t 軸に沿っても移動している。旅とは「ここではないどこか」のものであると同時に「いまではないいつか」のものでもある。であるならば、時間の移ろい、掠れゆく記憶、を同時に表現した旅の写真があってもよいはずだ。
人は、つい、旅とは何かを掴みにゆくものだと思い込み、何かを持ち帰ろうと必死になってしまう。けれども、そのような義務・焦燥というのは、結局、毎日の生活の中で担わされているものの延長に過ぎない。もし旅が非日常的なものであるとするならば、それは、何も獲得する必要がなく、忘れていくことが許されている時間、としてあるのではないだろうか。
もちろん、「目的のない旅に出る」という行為自体が既に目的的であり、「痕跡を残さない旅」もまた実行不可能である。けれども、そのダブル・バインドから目を背けずにそのまま印画紙へ焼き付けることで、小笠原さんの写真は「旅」をその原初的な形で示している。
 
手にカップラーメンを握りぬぼ〜っとしていたら、いつの間にか隣に、僕でも顔を知っている某デザイナー氏が立っており、急に気恥ずかしくなってこそこそと逃げ出したのだが、お昼休みのちょっとした時間に、旅へ出てまた家へと戻ってきたような、すっかり洗い流された心持ちになった。もうしばらく開催しているようなので、また気軽に立ち寄ろうと思う。それにしても、写真展から受けた印象を忘れまいとして、必死でブログに記す僕は、どうやら、やはり、旅というものを全く理解していないようである。
 

MAKI OGASAWARA PHOTO EXHIBITION
『旅の空』
 
2008.10.20 - 2008.11.24 11:00 - 20:00
Private View: 2008.10.19 17:00 - 21:00
 
Place: E&Y HOUSE
東京都目黒区駒場1-32-17 UNS Bldg ( 地図 )
tel: 03-3481-5518

 
小笠原さんは、どの雑誌かはわからないけれども、マガジンハウスでお仕事をされているらしい。



旅に出たくて出られない僕には、最近の『BRUTUS』は刺激的すぎ。「山」に「地方都市」とソソル特集ばかり。涎でべちょべちょにして眺めている。実家に戻って登山道具と一緒に親父の『アルプ』のバックナンバーも掠めてこようか知らん。