p21:28〜

(ある人々は「記号下」 subsymbolic と呼ぶ)「機能的」 functional な構成・活動を理解する標準的な方法はコンピューターにおけるハードウェアとソフトウェアの区別をあてはめることだ。脳はハードウェアに例えられるのに対し、心はソフトウェアとして捉えることが出来る。例えばWord97 のようなコンピュ−ターの特定の起動状態だとか、そのプログラムが起動できるようにあるデータ構造をコンピューターに記憶させることだとかに言及する場合、私たちは機能的な観点から語っている。つまりコンピューターが演算している課題の論理的な構成の観点から語っているのだ。物理的な(ハードウェアの)観点から言えば、機能的な構成は、電気的信号を介して相互作用するチップやディスクなどの電気的部品に実体化されていると言える。同様にして、心/脳が視覚の輪郭を決定しているだとか、言語表現を解析しているだとか言うときには、私たちは機能的な観点で語っているのだ。そしてその機能的な構成は化学的・電気的な相互作用を行うニューロンの集合体に実装される。計算論的なアナロジーをどこまでシリアスに受け取るかについては多くの議論がなされているが(再び Searle 1980*1を参照)、ある範囲においては、脳のプロセスを理解するために力強い洞察を与えてくれる。
このアナロジーには限界がある。まず私たちの心の中で走る「プログラム」を書いてくれる人間はいない、ということである。プログラムは固有に自生しなければならない。私たちはそれを「学習」 learning や「発達」 development と呼ぶ。この議論は4章で再び触れる。
2つ目に、標準的なコンピューターとは異なり、脳(すなわち f-mind)には、その全ての活動をコントロールする中央実行系 excutive central processor が存在しないという点をはっきりさせておかなければならない。むしろ、世界の理解を構築するため、世界内での目標と行動を制御するために、脳/心は平行して相互作用するいくつもの専門化したシステムから構成されているのだ。視覚のように統一されているように見える下位システムさえ、動きの検知、深さの検知、到達運動の調整、顔の認識などといった多くのより小さな相互作用するシステムにさらに細かく分割することができるのだ。
3つ目に、f-mind を構成する「ソフトウェア」や「データ構造」は標準的なコンピューターにおけるものよりも遥かにハードウェアの性質と強く結び付けられている。f-mind に関する初期の研究態度はコンピューター実験から持ち越されたものだ。コンピュータにおいては物理的に非常に異なるマシーン上でも同じプログラムが走る。つまり脳における物理的実体からは比較的独立した数学的機能として心の機能的な構成が取り扱われたのだ(Arbib 1964*2, Pylyshyn 1984*3を参照)。現在では「ソフトウェア」は「ハードウェア」が可能であることに絶妙にチューニングされていることがより明らかになっている(Word97 は特にペンティアムのチップにチューニングされてはいない)。
結果として、以前にもまして脳の性質が機能的な性質により直接的な関わりがあることが信じられるようになってきたのだ。悦ばしい発展だ。しかし、Marr (1982)*4 が雄弁に強調するようにその関係性は両側通行なのである。もし人間がある課題を行う際にこれこれの関数 function を実際に計算する必要があるということが示されたなら、脳内神経回路がどのようにしてその関数を計算することが出来るかも明らかにしなければならないということだ*5

*1:Searle, J. (1980) 'Minds, Brains, and Programs'. Behavioral and Brain Science 3: 417-24.

*2:Arbib, M. (1964) Brains, Machines, and Mathematics New York: McGraw-Hill.

*3:Pylyshyn, Z. (1982) Computation and Cognition: Toward a Foundation for Cognitive Science (MIT Press) Cambridge,Mass.: MIT Perss (邦訳『認知科学の計算理論』)

*4:Marr, D. (1982) Vision: A Computational Investigation into the Human Representation and Processing of Visual Information San Francisco: Freeman

*5:人間もしくは動物がどのような関数を計算しているかをはっきりと決定するためには徹底的な実験的探求によらねばならないことを強調したい。そのような探求はしばし、数学的にもっとも堅固な解というよりは、「チープ・トリック」 (手っ取り早い小細工) によってf-mind が支えられていることを明らかにする。