「信じる運命?」進化心理学・認知科学による宗教への科学的接近

豊浦噴火湾20090811
おひさしぶりです.今年もいろいろありましたが,結局のところ,図々しくも,僕は元気です.君はどうですか?
さて,年始年末は日本においても宗教に関わるイベントが目白押しですが,それらの忙しさをやりすごしたら,ふと立ち止まって宗教や信仰そのものについて考えてみるのもよいのではないでしょうか.そのきっかけとなるネタを提供できれば光栄です.

はてなで学ぶ非-インテリジェント・デザイン
長老「人は人に似せて全能の神様を創ったのじゃよ.その証拠に,わしらが考える神様はひどく人間くさいではないか」
ぼく「ふうん,なるほどね.神様がぼくたちに似ているのは,僕たちが考えたものだからなのか….待てよ?ということは,神様もぼくたちと同じように神様を創るんじゃない?」
長老「…う,うむ,そ,そうじゃ,よくぞ気がついた.わしらが神様を創ったのと同じように,きっと神様も全-全能のメタ神様をお創りになるじゃろう」
ぼく「ふうん,なるほどね.メタ神様は神様より強くてエラいんだね,うはは.そして今度はメタ神様が全-全-全能のメタメタ神様を創るんだ!」
長老「そうぢゃ!」
ぼく「…ぼく,頭がごちゃごちゃしてきたよ.ねえ,じゃあ僕たちを創ったのはいったい誰なの?」
長老「お前ごときを全能として創ったのだから,お前より非-インテリジェントで無-能な存在に決まっちょる」
ぼく「わかった!空飛ぶスパゲッティーモンスターだ!あいつら,アホ丸出しじゃないか!」

空飛ぶスパゲッティーモンスター
さて,非-インテリジェントな小噺は手短に切り上げて本題へ.以下は Nature に 2008 年に掲載された パスカル・ボイヤーによるエッセイを訳出したものです.このエッセイは "Being Human" (ヒトであるということ) という一連の連載記事の中のひとつで,他にも言語や愛といった人間固有と考えられてきた特質について,近年の科学的な探求の成果がやさしく解説されています.購読できる環境にあるかたは是非アクセスしてみてください.
それでは以下,拙訳です.

Being human: Religion: bound to believe?
Boyer P.
Nature. 2008 Oct 23;455(7216):1038-9.

無神論はこれからも常に宗教よりウケが悪いだろう.なぜなら多くの認知的特性が我々に宗教を信仰するようにしむけるからだ.
宗教は進化の産物なのだろうか?この問いかけこそが多くの人々を宗教的にさせている.あるいは,そうでなければ,萎縮させているのだ.もちろん理由はそれぞれに違うけれども.信仰深い人々は信仰の基盤となるプロセスを理解することで信仰の土台が突き崩されることを恐れている.信仰を持たない人々は,進化的遺産の一部として示されたものが,善であり,真であり,必然的あるいは避けようのないものとして解釈されることに気を揉んでいる.多くの科学者を含め,そのどちらでもない人々は,単に争点全てを退け,宗教を子供じみて危険で無意味なものとして見る.
 このような反応をとってしまうと,宗教的思考が,どうして,そして,どのようにして,人類の社会の中でここまで広範囲に広がっているのか (これは特に宗教的原理主義の現状に関係する) についてはっきりと知ることが難しくなってしまう.僕たちがたまたま手に入れたあるタイプの脳によって生じる様々な結果のひとつとして宗教があるのかどうか,を問うことによって,どのタイプの宗教が僕たちの精神にとって「自然」なのか,ということが明らかになる.またこの問いによって,「宗教はそれぞれ様々に異なるとはいえ,人の手によって作りあげられたものである」という一般に共有された仮説を検証することができ,宗教と民族紛争との関係を探求することができる.そして最後に,無神論へと至る現実的な可能性を大胆に予測してみることができる.
 過去10年に,宗教の進化的・認知的な研究が成熟をはじめた.といっても,宗教的思考を担う遺伝子や遺伝子群を識別しようとする研究ではない.また,僕たちの知っているような宗教を生み出した進化のシナリオを単に夢想することでもない.実際の研究は,もっと巧妙なものだ.新しい研究は,新しい仮説と検証可能な予測を提示している.人間の構成のうちで,何が宗教を可能にさせ,成功させているのかを問うのだ.宗教的思考や振る舞いは,音楽,政治体制,親族関係,民族連合といった人間の自然的な能力の一部と考えることができる.認知心理学神経科学,文化人類学,考古学における発見は,宗教に関する僕たちの考え方を変えることを約束している.

仮説に基づいて
重要な発見のひとつは,人々は自らの宗教的思考の一部しか意識できないというものだ.なるほど,人々は「世界を作った全能の神がいる」だとか「精霊が森林の中に潜んでいる」といった自らの信条について記述することができる.けれども,認知心理学が示すところによれば,この種の明示的にアクセス可能な信条には,意識的な内省では一般に捉えることの出来ない多くの暗黙の仮定が常に伴っている.
 例えば,どのような明示的な信条をもっていようと,多くの人々は神に対する非常に擬人的な期待を抱いていることが実験によって示されている.神がいくつかの問題に同時に専念しなければならないストーリーを聞かされた場合,一般的に神は無制限の認知的能力を持っていると描写されるため,人々はそのストーリーが全く妥当なものだと考える.一定時間後にストーリーを思い出させると,ほとんどの人々は,1つの状況に神が専念した後に次のものへと注意を向けた,と答える.人々は彼らの神の心が人間の心とそっくり同じように働くことも暗黙に期待している.知覚や記憶,推論,動機づけについて同じプロセスを示すと考えているのだ.そのような期待は意識には上らず,多くの場合,彼らの明示的な信条と対立することになる.
 伝統ごとに大きく異なる意識的な信条とは違って,暗黙の仮定は異なる文化や宗教においても非常に類似していることが研究によって示されてきた.これらの類似性は人間の記憶の特性から生じるのかもしれない.人々に最もよく記憶されるのは,物理的直観に反した業 (キャラクターが壁を通り抜けたり,瞬間的に移動する) と,もっともらしい人間の心理的特性 (知覚,思考,意図) との組み合わせを含んだ物語であることが実験によって示唆されている.恐らく,神と精霊が文化的に成功している理由はこの記憶バイアスによるのだろう.
 人間は非常に幼いころから,神や精霊,そして他の非物理的なエージェントとの社会関係をはぐくむ傾向がある.他の社会性動物とは異なり,人間は物理的に存在しているかどうかに依らず,エージェントとの関係を確立し維持することが非常に上手い.例えば,社会的な階層や連合の中には一時的にその場に不在のメンバーが含まれる.この傾向は更に突き進む.人間は,幼年期から,虚構のキャラクターや想像上の友達,死去した親類,目に見えないヒーロー,空想の仲間たちと持続して安定した重要な社会的関係を形成する.実際,他の霊長動物と比較して異常ともいえる人間の社会的技能は,想像されたパートナーや不在のパートナーとの恒常的な実践によって磨かれている可能性がある.
 非物理的なエージェントとの絆を形成するこの能力から,精霊・死んだ先祖・神 (彼らは目に見えず触ることもできないが,それでも社会的に関わる) の概念化へはちょっとした一歩だ.ほとんどの文化において,人々の信頼する超人間的なエージェントたちが道徳に関係している理由がこれで説明できるかもしれない.そういったエージェントは,道徳に関わる行為にのみ完全なアクセスを有しているかのように描写されることが多い*1.「神は私が朝食にお粥を食べたことを知っている」と考えるより,「神は私がこのお金を盗んだことを知っている」と考えるほうがはるかに自然であることが実験によって示されている.
 さらに,人間や他の動物における強迫行動に関する神経生理学が宗教儀式を解明し始めている.強迫行動の中には,患者に対して明瞭で観察可能な結果をほとんどもたらすことがないにも関わらず,行わなければならないと感じさせるような紋切り型で頻繁に繰り返されるものがある.例えば,一連の決まり文句を繰り返しながら胸を 3 回打つといったものだ*2.儀式化された行動も,強迫性障害の患者や幼時の定式行動に見られる.こういった文脈では一般に儀式は,汚染と浄化に関する思考,危険と防護,特別の色や数を使用することの要求,安全で秩序だった環境を構築する欲求といったものに関係している.
 今や,僕たちは,人間の脳には,捕食や汚染といった危険な可能性を避けるための安全確保と予防措置のネットワークが備わっていることを知っている.このようなネットワークは周囲の環境を洗浄したり点検したりするといった特定の行動を引き起こす.そしてシステムが暴走すると,強迫性障害を生み出すことになる.純潔,穢れ,潜んだ悪魔による隠された危険といった宗教的メッセージは,これらのネットワークを活性化し,儀式的な予防措置 (洗浄,点検,聖域の制定) を直感的に魅力的なものにする.
 最後に,社会/進化心理学の研究は,宗教に影響をもたらす人間特異的な連携能力の存在を明らかにしている.人間は,相互信頼で強く結ばれた,無関係な個体との広大で安定した連合を維持することで動物の中でも特異な存在だ.人間はそれを達成するための認知的ツールを進化させてきた.人々はどのようにして他者の信頼性を計測するかを知っている.また,人々は相互行為のエピソードを思い出し,人々の性格がどのようなものかを推測する.そして,人々は,コストが高く欺きにくい,態度表明の信号*3を発し,検知することができる.
 こういった連携に関する心理は公的な宗教的態度のダイナミクスに関係している.人々が特定の信仰への忠誠を公表するとき,彼らは他の宗教グループにとっては自分たちが明らかに誤っており馬鹿げているととられることに,同意しているのだ.信仰の表明は,グループの特定の規範を,それがまさにグループの規範であること以外の理由なしに受容することへの意思を周囲に発しているのだ.

認知的な隠し場所
ということは,宗教は適応,あるいは,進化の副産物なのだろうか?おそらくいつの日か,僕たちは,社会・政治的な近代的制度としての「宗教」というよりも,むしろ,宗教的思考の能力こそが,祖先の時代においては適応に貢献していたという説得力ある証拠を発見するだろう.その日が来るまでは,データはもう少し控えめな結論を支持する.つまり,宗教的思考は僕たちの標準的な認知能力から創発した特質であるように思われる,というものだ.
 音楽や視覚的芸術や美味や政治や経済制度や流行と同じように,宗教的な概念や活動が僕たちの認知資源をハイジャックしているのだ.心理学者が超正常刺激*4と呼ぶような形式を宗教が備えているというだけの理由で,このハイジャックがおこるのだ.視覚的芸術が,自然の中に見られるものより,より対称的で鮮やかな色を持つのと同様に,宗教的エージェントは,現前しない人間的エージェントが極めて単純化されたものであり,宗教的儀式は,予防的手続きが高度に様式化されたものなのだ.ハイジャックが起こるのは,宗教が特定の行動の表出を促がすためでもある.集団へのコミットメントの場合がそれに当たり,特に,奇抜で自明でない信念を受け入れることが表明される場合には,信頼性が高まることになる.
 人間の心に宗教に固有の領域はないのだから,宗教的信念に固有の源を正確に示そうとするべきではない.ちょうど色と形が視覚システムの異なる部位によって扱われるように,異なる認知システムが,集団へのコミットメント,儀式化された行動,超自然的なエージェントといった表象を扱う.言いかえれば,神概念を説得力あるものにしているのは,儀式を直観的に強迫的なものにするものでもないし,道徳的規範を自明のものにするものでもない.最も近代的で組織的な宗教は,これらバラバラな要素 (儀式,道徳,形而上学,社会的アイデンティティ) 全てを1つの一貫した教義と実践へと統合するパッケージとして現われるのだ.けれども,パッケージはただの広告に過ぎない.これらの領域は人間の認知の中で分離されたままだ.証拠が示すところでは,心は単一の信念ネットワークではなく,無数の別個のネットワークを持っており,このネットワーク群が宗教的主張を多くの人々に極めて自然なものに感じさせるのだ.
 この認知-進化アプローチから生まれた発見は,最も確立されている宗教における 2 つの中心的教義に変更を迫る.ひとつは,自分たちの特定の宗教的信仰は,(おそらく誤って思い込まされた) 他のいかなる信仰とも異なるという考えだ.もうひとつは,宗教的観念が生まれたのは,超常的な出来事が生じた,あるいは超自然的なエージェントが実際に存在したためで,それだけが理由である,という考えだ.しかし,実際は真逆であり,あらゆるバージョンの宗教は非常に類似した暗黙の仮定に基づいており,超自然的なエージェントを想像するのに必要なものは,最も自然なやり方で情報を処理する正常な人間の心だけであることを,僕たちは今や知っているのだ.
 これらの結論を知ったからといって,さらには受け容れたからといってさえ,恐らく,宗教への傾倒が阻まれることはない.あるタイプの宗教的思考は,僕たちの認知体系にとって最も抵抗の少ない経路のように思われる.対照的に,懐疑は,一般的に言って,僕たちの自然な認知傾向に逆らって行われる慎重で骨の折れる作業の結果だ.懐疑が最も伝播しやすいイデオロギーである,などということはほとんどありえないのだ.

以上,拙訳でした.

あわせて読みたい
P. Boyer の著書

Religion Explained: The Evolutionary Origins of Religious Thought

Religion Explained: The Evolutionary Origins of Religious Thought

その邦訳 (id:shorebird さんによる書評)
神はなぜいるのか? (叢書コムニス 6)

神はなぜいるのか? (叢書コムニス 6)

儀式的行動と強迫性障害の関係についてのより詳細な論文

Why ritualized behavior? Precaution Systems and action parsing in developmental, pathological and cultural rituals. (PDF)
Boyer P, Liénard P.
Behav Brain Sci. 2006 Dec;29(6):595-613; discussion 613-50.

進化学による統合の試み

Consilience

Consilience

その邦訳 (三中信宏先生による書評)
知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合

知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合

genxx さんによる「宗教がいかに進化してきたのかを科学的に説明する(ふたたび)」も同様の試みに関する記事.
■ そうそう,最後になりますが,twitter 上で交わされた @genxx さんと @edouard_edouard くん (id:edouard-edouard) との対話 (宗教を生きる) も宗教について考える上で大変示唆に富むものでした.

それでは,みなさま,よいお年をお迎えください.

*1:訳者注:たとえば,「閻魔さま」とかかな.

*2:訳者註:日本だと「二礼二拍一礼」とかかな.

*3:訳者注:クリスマス・プレゼント!お布施!!

*4:訳者注:進化的に適応した自然界の刺激よりも強い影響をもたらす刺激.id:optical_frog さんの「別訳バージョン:デネット『かわいい,えろい,あまい,おもしろい』」がたいへん参考になります.