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それゆえ我々は、「図1.1 は話者の心の中の認知構造をモデル化したものである」というように解釈を修正する。しかし依然として問題が残る。「心」 mind という言葉だ。心とは伝統的には意識と意志の座として理解されてきた。「心身問題」 mind-body problem は意識や意志と物理的世界との関係に関するものだ。そして我々は、少なくともフロイトの時代から、「無意識的な心」 unconscious mind についても語るようになった。フロイト以降の一般的な語り口は、無意識な心も、単に我々が気付かないだけで、ほとんど意識的な心と同じようなものであるとする。だから無意識は思考やイメージやその他さまざまなものに満ちていて、それらは少なくとも原則としては意識的な内省にさらされうるものとして受け取られている。
このような無意識の概念は、現象を記述する際においては「精神的」 mental なものとされる。そしてそれ以下のものは全部「物質」 body なのだ。もっとはっきりと言うと、脳である。そこでは内省可能なものを遥かに超えた図1.1 のような複雑な構造が心の中に生じることなどとてもあり得ない。そこではただ、ニューロンの発火が生じ、シナプスの結合によって他のニューロンを活性化させたり抑制させたりしているだけなのである。これこそがサールが引き起こし、フォーダーが抗った流れなのである。我々はこの流れに上手く抵抗できるように、新たな記述の領域の扉を開けなければならない。それはあたかもフロイト派の無意識と物理的な肉との狭間へと通ずる扉である。
現代の認知科学では、原則的にチョムスキーの用法に従って、「心」 mind という語 (より近年においては「心/脳」 mind/brain) がこの中間の領域を指すのに使われるようになってきた。「心」は脳の機能的な構成・活動によって特徴付けられ、そのごく一部は意識に上るが、大部分は意識下にとどまる。残念なことに、この用法は日常的な意味との混乱を引き起こす。「君が "The little star is..." と述べるときに、NP が心の中に生まれるなんて馬鹿げている」といった具合に。もちろん馬鹿げている。日常的な意味とはっきり区別し、このような誤解を避けるために、「f-mind」 (functional mind) という専門用語を導入しよう*1

*1:用語を修正する上では理想的ではないいくつもの選択に直面する。(特に途中から読み始めた)読者が日常的な意味で言葉を理解しやすいように "mind" という言葉を使い続けるだとか、さもなくば "cognizer" などという全く新しく意味の不透明な言葉を作って、読者を凍りついたままにするだとか。その中間点として私は伝統的な言葉を採用したが、付加記号によってそれが特殊な専門用語であることを示した。その不恰好具合にまずお詫びしたい。 また私は、この意味での「機能的」 functional が、コミュニケーションへの危急から文法的特性が生じたと考える言語学上の機能主義 functionalism とも無関係であることをはっきりさせておかなければならない。