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認知科学に浸透し類似の問題を引き起こす言葉は「表象」以外にも存在する。例えば、図1.1を心的表象もしくは脳機能の「記号」理論 symbolic theory の一部として語ることはよくあることだ。この図の中の音素 b だとか 範疇 NP だとかの表記記号は心の中の「記号」 symbol として解釈される。このとき図中の「記号」は何か (つまり、心的要素) を象徴 symbolize していることになる。しかし、果たして心的要素が何かを象徴することはあるだろうか?心の中の b という要素は音素 b を象徴しているのではなく、心的要素こそが音素を音素として成り立たせているのである。さらに言えば、記号とは、知覚者や知覚者のコミュニティーがあって初めて記号たりうるのだ。だからこの用語は暗黙のうちに我々を再びホムンクルス問題に引き込むことになる。
そして、明らかに無害と思われる「情報」 information という言葉すらこの問題を免れない。情報を伝達 inform する対象なくしては、情報は情報たりえないのだから。このページの文字や空気を通じて伝達される言語音は確かに人々に情報を伝達する。しかし頭の中の音素 b だとか範疇 NP だとかは、文字や音が人々に「伝達するもの」の中にあるのだ。
何人かの読者はお気づきだろうが、私がこんなになんやかんやと騒ぎ立てているのは、「志向性」 intentionality に関わる悩ましい哲学上の問題を阻止するためなのだ。「志向性」とは思考やその他の心的要素と外界との関係における明白な「〜について」性 aboutness のことだ。例えばジョン・サール John Searle (1980*1 ) は、図1.1 のような構造を心の中に形成したとしても、その構造がどのようにして世界「について」のものでありうるか、その構造がどのようにして何かを象徴するのかについてを全く説明できないという理由から、図1.1 のような分析の意味を心理主義的な用語で理解することは出来ないと論じた。ジェリー・フォーダー Jerry Fodor (1987*2, 1998*3 )は心的表象の実在に強くコミットしながらも、志向性の説明が重大である点ではサールに同意している。しかし(もし私が彼の深刻で複雑な議論を要約できるとしたなら)彼はパラドックスを解消しようとして、彼自身を半身に引き裂いていてしまったのだ。志向性に関わる哲学的な懸案事項は主に(図1.1の意味/概念構造にあたる)意味に関わるものだった。私はその詳細に関して9章と10章で取り扱おうと思う。しかし同様の困難は音韻構造・統語構造の「記号」にも(より微妙な形で)付きまとうことになる。
すなわち、私は「表象」「記号」「情報」といった志向性を暗に含む用語を適切で中立的な言葉に置き換えることで、この問題を回避することを提案する。図1.1を「認知構造」 cognitive structure のモデルと呼び、音素 b だとか範疇 NP といった要素を「認知要素」 cognitive entity 「構造要素」 structural entity と呼ぼう。「情報をエンコードする」と言う代わりに古い構造主義者の用語「差異を形成する」 making distinctions を使おう。もちろん構造要素はそれ自体が構造たりえることに注意してほしい。たとえば音素 b はその独自の素性 feature から構成されている。

*1:Searle, J. (1980) 'Minds, Brains, and Programs'. Behavioral and Brain Science 3: 417-24.

*2:Fodor, J. Psychosemantics: The Problem of Meaning in the Philosophy of Mind. (1987) Camblidge, Mass.: MIT Press

*3:Fodor, J. Concepts: When Cognitive Science Went Wrong. (1998) Oxford: Oxford Univesity Press