朝のリレー/24時のブルース②


 朝のリレー/24時のブルース①からの続き。


アルバム終盤、ふいに激情の嵐が去り、気怠さと悲しみが立ち込める。そして柔らかなリズム・ボックスの音に乗せアコースティック・ギターが刻まれ、「24時のブルース」が始まる。

24時のブルース/曽我部恵一
  
犬はうるさく吠え
だれかは数をかぞえ
朝を待って眠り
夜を待って歌う
そうさ
  
今日はひとり歌う
24時のブルース
女の子たちは踊る
貨物列車のブルース
そうさ
  
いろんな場所でみんな星に祈り
いろんな場所でみんな愛しあう
ぼくはきみの声が聴きたかったんだ
 
(中略)
きみの住む部屋に雷がきこえる
やがて嵐が来る
やがて嵐が来る
昨日までのこと マンホールに流れ
やがて海へと出る
暗い海へと出る
そうさ
 
(中略)
いろんな場所でみんな星に祈り
いろんな場所でみんな愛しあう
いつもそんな声が輝くんだ
輝くんだ 

夜の中でぽつりぽつりと灯る明かり。直接は通じ合うことのない彼や彼女を、犬の鳴き声や貨物列車の音や雷がゆるやかに繋いでいく。リズム・ボックスとアコースティック・ギターで始まる演奏にはやがて低音や鍵盤などが加わり、各パートが有機的に結ばれる。そしてそれらを更に大きく包み込むようなストリングス。
ひとり部屋で歌いながら、誰かとの繋がりを感じ、求める。谷川の「朝のリレー」の舞台を夜に置き換えたかのようなこの詞が描いているのは、全ての詞曲を手掛けていた曽我部恵一の孤独が開かれた一瞬なのだろう。苛立ちと激情を全てぶちまけて、それでも伝えきれないものを知ったたとき、彼は、自らが閉じ篭っていた幻想の窓を開け、外の闇へとアンテナを向けたのだ。

この歌詞に歌われている風景はサン=テグジュペリが飛行機の上から見たものとも重なる。

ぼくは、アルゼンチンにおける自分の最初の夜間飛行の晩の景観を、いま目のあたりに見る心地がする。それは星かげのように、平野のそこここに、ともしびばかりが輝く暗夜だった。
あのともしびの一つ一つは、見渡すかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。あの一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしてなかった。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。(中略) 努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。
              サン=テグジュペリ人間の土地 (新潮文庫)』(堀口大学訳)

僕が、この曲をサニーデイサービスの折り返し地点と言ったのは、開かれた孤独が歌われたのはこの瞬間のみで、彼らは再び優しい幻想の世界の中へと戻っていったからだ。そして『MUGEN』『LOVE ALBUM』という諦念すら漂う美しい2枚のアルバムを残して解散する。サニーデイ・サービスはその本質として幻想を奏でるバンドであり、曽我部の開かれた孤独を受け止めることはできなかったのかもしれない。
 
バンドを解散した後の曽我部は、より肉体に根差したストレートな音楽性を深めており、自らレーベルを経営するなど、活動も意欲的だ。サニーデイ時代を引きずることのない前向きな活動には好感を覚える。
しかし街を歩いていて美しいものに触れたとき、季節の移り変わりに気づいたとき、ふと僕の心に流れるのは、何故か、美しい幻想で塗り固められたサニーデイ・サービスのうたなのだ。孤独を誰かの生に向けて開くことのまだ出来なかった十代の僕へ、これほどまでに強度と美しさを兼ね備えた幻想を届けてくれたサニーデイ・サービスに、僕は感謝したい。