北京ヴァイオリン

 
北京ヴァイオリン 特別プレミアム版 [DVD]
 
 
 
 
 
 

豊かに水をたたえた美しい風景と、人々の素朴な温もりが残る中国の田舎町。そこに息子を一流のヴァイオリニストにする事を夢見て全てを捧げる貧しい父と、父を愛しながらも顔も知らない母の面影を追い求める少年が住んでいた。少年は母の形見のヴァイオリンを弾くのが得意だった。二人はコンクールに出場するために北京へ行き、そこで著名な先生の個人指導を受ける事になり、北京で暮らし始める。急激な変化を遂げる競争社会の大都会は、地方出身の少年の心に影を落としたが、少年が奏でるヴァイオリンの旋律は、彼に関わる人々の心を癒してゆく。やがて少年は国際舞台に羽ばたく大きなチャンスをつかむが、それは愛する父との別れを意味していた。そしてその時、少年の出生の秘密が明かされる。果たして少年が選択した道とは…?    (オフィシャル・サイトより)

 
劇場公開時も気になっていたのだが、大河モノがイマイチ苦手な僕は、監督がチェン・カイコーと聞いて二の足を踏んでしまった。チェンがハリウッドに進出して撮ったエロティック・サスペンス『キリング・ミー・ソフトリー [DVD]』も酷いものだった。それでも、苦手意識にも関わらず手が伸びたのは、オムニバス『10ミニッツ・オールダー』での演出の輝きを憶えていたから。現代中国を舞台に、社会の変遷に翻弄される人間をドリーミーな映像美で描いた『夢幻百花』の10分間は、明らかに他の監督たちとは異質な快感と眩惑を僕に与えた(でもベストはビクトル・エリセの『ライフライン』。この素晴らしい10分間だけで、また10年も新作を待たせるのだろうか?)。というわけで、チェン・カイコーでも現代中国ものなら受け入れられそうだな、と。結局TSUTAYAでレンタル半額キャンペーンのついでに借りた次第。
 
で、本作。熾烈な競争社会であるクラシック音楽の世界と拝金主義が跋扈する現代中国の歪みとを重ね合わせながら、主人公と音楽を通して触れ合う人々との交流を優しいまなざしで描く。
  
チェン・カイコーの誇る映像美としては冒頭での主人公チュンの出身地、江南の水郷・烏鎮(うーちん)の風景。水を美しく撮る作品はそれだけで信頼してしまう(トリュフォーゴダール『水の話』なんて水の絵だけでO.K.)。そして物語中盤、北京での最初の音楽教師となったチアンとの別れのシーン。知性と才能を備えつつも時代の流れから取り残されてしまい、寂れた不潔な家屋で猫を友として生活をしていた彼が、整えられた部屋で、清潔な衣服を身にまとい、蓬髪を正し、柔らかな光の中、ピアノを弾きながら最初で最後のまともな授業を行う。チュンとチアンとが音楽への愛と互いへの敬意で結ばれる美しい時間を窓から洩れる柔らかく淡い光の中に描く。
 
陳腐なストーリー展開や納得の行かない設定もある(そもそもチュンは独学であそこまでの演奏力を養ったのだろうか?)のだけれど、各キャラクターにおける丁寧な心理描写がそれを掻き消すほどの魅力を与えている。もちろんこの映画における心理描写とは、内面を饒舌に語らせることではなく、敢えて語らせないことである。語らなければ語らないほど些細な行動からその深淵が垣間見え、観るものの想像を逞しくする。チュンを演じる少年など無表情というほどなのだが、心の揺れを押し込める10代の少年らしさが良く出ているし、チュンを取り巻くあらゆるキャラクターが観るものの想像を誘いて止まない。うらぶれた音楽教師チアンから、チュンが憬れる美女リリまで、どのキャラクターもその背後に帯びた人生の哀調が覗く。田舎者のチュンの父親と、大都市北京の拝金主義の泥渦の中で生きるリリの二人が酒を酌み交わす風景には独特の情緒が流れ心が暖まる。
父と子の感動ドラマとして紹介されがちであるが、チュンとリリとの関係こそ僕は興味を持って眺めた。母のいないチュンと、裕福な男たちを手玉に取りつつも心の満たされないリリとの間に母子愛とも姉弟愛とも異性愛ともつかぬ関係が生まれる。傍から見ればリリがチュンを手玉に取っているようだが、不快感を伴わないのは二人の寂しさと優しさとがしっかりと描き込まれているからだろう。母の形見であるバイオリンを売り払い、リリの欲しがっていた高級なコートをプレゼントしてしまうチュンの向こう見ずさには呆れつつも共感を禁じえない。そしてリリはチュンの天才を信じ、彼女の尽力でチュンは(監督自身が演じる)有名な音楽教授に師事できることになるのだ*1
このように各人物がしっかりと描けているのだから、チュンの出生の秘密(しかもベタな)にあからさまに触れる必要は薄かったかもしれない。ラストに至るまでの人間ドラマが充分な説得力とクオリティを持って描かれているのだから、クライマックスでの北京駅での演奏シーンは父と子の関係を抜きにして情熱的で美しいものになっただろう。
 
この映画では金銭の往来が非常に重要な要素として扱われている。主人公と父リウ、主人公とリリ、主人公とチアンなど、あらゆる関係において、金銭の授受が行われ、紙幣が画面に表れるたびに、市場経済化の進む現代中国の歪みが露わになる。全てが市場経済というシステムに飲み込まれていく中で、如何に金銭に還元されないものを生み出していけるか、そしてその中で芸術はどうあるべきか、というテーマが縮約された形で提示されているのだ。そして悲観的ではあるが、もはやこの美しい物語が荒唐無稽なものとして受容される時代に僕らは既に生きているのだろうと思う。僕が3年前に訪れた北京の街はそう確信させるのに充分だった。それとも観光客の僕には見えないような場所でチュンやリウ、チアン、リリは生きていたのだろうか?
 
ところで、主人公のバイオリン、すげえなあ、と感心してみてたのですが、やっぱり吹き替えだったようでちょっとがっかり。劇中で有名音楽教授の弟子として出演しているリー・チアンユンが演奏を担当しているのだそうで。
 
近日公開される、『PROMISE』のような大作大河モノがお得意なのだろうけれど、また『北京ヴァイオリン』のように市井の人々の機微を丁寧に扱ったものも撮っていただきたいものです。

*1:ちなみにリリを演じるチェン・ホンは監督婦人だそうで。