2月15日の開闢

柄でもなく少し早く起きた朝は、デカルトの言う、全ての知覚を欺く悪魔をも出し抜けるような気がする。だって僕が五時に目覚めるなんて悪魔にだって想定外だろうから。
そのせいだろうか、二月にしては妙に生温い朝の空気の中で遠くに望む富士山は、形も色も昨日と変わらないはずなのに、初めて感じるような鮮やかな質感で僕に迫ってくる。何だか生まれ変わったような気分だ。
そういえば、毎朝、それどころか五分おきに、<私>が新たに生まれる、この宇宙の開闢が生じる、としても、誰もそれに気付かずに世界は回り得る、といった思考実験を永井均がしていたっけ。
これはある種の懐疑論なのだろうけれど、ニヒリズムに陥らない、とても新鮮で清々しい、素敵な思考だと思う。
もし、僕が今朝感じた、宇宙の全てが生まれ変わったような気分がデカルトの悪魔の所業だったとしたら(いや、多分そうなんだろうな、だって悪魔だぜ、そうそう出し抜けっこない)、僕は悪魔にだって感謝するさ!
 
そう、僕たちが精一杯生きようとするならば、悪魔の欺きの外の世界を志向するのではなく(それは原理的に不可能だ)、悪魔がどのように世界を、素晴らしきこの世界を、僕らに知覚させるのか、を追求することだ。
それは在り体に言えば、各々の置かれた状況を、いかに自分を欺かずに生きるか、という問題にも繋がる。
 
そういえば今朝早く起きたのは、卒業研究を指導した後輩と、発表前の最後の打ち合わせをするためだった。その後は彼の力を信じて、僕は手を放すのみ!
この一週間は、ほんとうに、彼と手を取り合って精一杯やれたと思う。自分を欺かず。
 
嗚呼、「それもまた悪魔の欺きに過ぎない」なんて、野暮な突っ込みはしないでくれよ!