重要な蛇足

僕は上の日記(1個上のはどうでも良くて2個上の日記)で展開された未熟な思考を、障碍者の生やそれに関わる社会環境の問題に結びつけてみたいと思う(もちろん水溜りに足を突っ込んだだとか、大きな門、小さな門だとかは比喩である)。
障碍者が利用しやすい大きな門のある社会を築くのは、勿論、当然である。東横インは話にならない。だが、大きな門を用意すればそれで事足りるとは、到底、言えない。僕がそうしたように、大きな門が用意されているにもかかわらず、みずから小さな門を選び、みずから泥に足を踏み入れるような状況に障碍者を追い込んでいる何かがないだろうか。そして、泥に足を踏み入れてでも前進する自分を「誇り高く」さえ感じさせてしまう何かがないだろうか。
僕は未だ明瞭な回答には至っていないのだけれど、とにかく自分の生にひきつけて考えてみることを続けてみたいと思う。自分自身、日常生活において disability をほとんど意識することのない程度の impairment を抱えるものとして、思考を停止させることのないよう。僕の専門は直接こういった問題に関わるものではないのだけれど、真摯に自分の仕事を追及していったなら、いつか、間接的にでも、運動は可能になる。そうであってほしい、そうでありたい、と思う。
こんなことを今夜つらつら考えたきっかけの一つは毎日のように読んでいるid:x0000000000さんの文章だ。知的刺激を戴くと同時に、本当に、奮い立たせて戴いております。こんなところからですが、ありがとうございます。