ヘルミーネ、ヘルミーネ


立派な癌患者や立派なエイズ患者は想定可能だが、果たして、立派な鬱病患者というものは存在しうるのだろうか。その語の内包する矛盾に気付くと、忽ち、僕はこのまま消えてしまいたくなる。
しかし、お粗末な絶望とは命に対する傲慢な態度から生まれ来るものである。君はこの生において何を験したというのだろうか?絶望は死の淵まで取って置きたまえ。

じゃ、あんたは踊れないのね?全然ね?ワンステップさえ?そのくせあんたは、生きるためにどんなに骨をおったか、だれにもわかりゃしない、と言いはるのね?大げさなことを言ったのね。あんんたの年ではもうそんなことするもんじゃないわ。そうよ、踊ろうとさえしないで、生きるために骨をおったなんて、どうして言えるの? (ヘッセ 『荒野のおおかみ (新潮文庫)』)

海のある町に生まれたのに、僕は、波乗りが出来ない。しかし、心に波は明け暮れ容赦なく押し寄せる。ノースショアよりもマーヴェリックスよりも遥かにビッグなウェーブだ。いつ藻屑と散るかも判らない。そうだ、次の夏には波乗りを始めよう。そしていつか海原を悠揚と見渡してみせる。折る骨のほうなら、まだまだ、有り余っているようである。