花の命は短くて。

 

 
 マグロだのカツオだのといった魚たちは泳ぎを止めてしまうと呼吸が出来なくなってしまうので眠らずに泳ぎ続ける。幼い頃その話を聞いた僕は半分嘲けりの気持ちを込めて哀れんだものだった。しかし、今の僕は、まさにその哀れむべき状態にある。夜になって研究が終わったからといって眠ってしまうと死んでしまうのだ。次の日、研究をするためには、夜から朝まで働いて生活費を稼がなければならない。肉体労働したり水商売したりぽっぽやになったりもう何でもありだ。
 
 家賃を払ったあとは本当に貧窮していて、この一週間は大学生協のセール品の105円のカップやきそばの類か100円のマック・ポークばかり食っていた。昨日の夜には財布に24円が残るのみで、今日は結局何も口にせずに労働をした。恵比寿ウェスティンホテルでの会場設営の仕事で、目にも鮮やかなデリカテッセンの並ぶ厨房の脇を通るのが辛い。向かいの会場では社交ダンスの催し物が開かれている。色とりどりの原色のドレスをまとった、女、女、女。醜い。あんなところに洗練が存在しているのだろうか。素直に嫉妬が出来ればまだ幸せなのに。
 文化的な新奇に触れられないことは本当に辛く惨めなことである。ポップ・ミュージシャンの端くれとして(笑)、最新の音楽は常にフォローしていたいし、世界には日夜読み続けても終わらないほどの大切な本がある。フジロックの感想を読むのも辛い。友は今夜もどこかで素敵な音楽に耳を澄ませ美酒に酔っている。しかし、何がもっとも惨めかと言えば、たかだか金がないとか腹が減っているとかいうだけのことで、いともたやすく品性が下劣になる自分に気付くことだ。
  
 土曜日、夜明けまでバーで働いた後、「いつまでこんなに苦しいのでしょう」と同僚のぴいちさんにつぶやく。「少なくとも私の歳でも苦しいの」と答える彼女は今年30歳。楽な道を歩きたい、と思えれば、きっと、楽になれるのだ。けれども、僕の周りにいるのは、そのように思うことすら出来ない人たちばかりなのだ。