僕らが旅にでる理由 五つ目

いつもの東中野駅でいつもとは逆方向の中央線に乗ってしまった。もう戻れない。戻らない。
「旅に出る理由の無い旅」は久しぶりで少し戸惑う。最後に理由のない旅をしたのは 4 年前の九州自転車旅行以来だ。阿蘇を越えて彼女と出会ってからは世界は何かにつけて理由や意味で充満していたので、旅に出る理由なんてそもそも思いを巡らせるまでもなかった。状況的に言えば、友人たちに冗談めかして伝えたように、センチメンタル・ジャーニーということになるのだけれど、かずきはもう 25 だからつぼみのままで夢見ているわけにもいかないし影絵のように美しい物語は文字通りに影絵でしかないことを知ってしまったのだ。けれどもそれでも何かにさそわれて彼方にさらわれてしまう僕は旅に出ます。
甲府身延線〜富士ルートを廻る予定。富士山を反時計周りする感じ。祖父母が伊那谷に住んでいたからか、どうも僕は盆地に安心を覚えるらしい。長野に向かうときにはいつも甲府を通るのだけれどきちんと街を見たことがないので、前から気にかかっていたのだった。それから甲府や身延あたりは僕の好きな井伏鱒二太宰治にゆかりのある土地だということもある。

けれども今回の旅は不安が山ほどあって、ひとつは金がぎりぎりなこと。それから昨日の積雪。寝袋で寝られる場所見つかるかしら。そしてそもそもスリーシーズン用の寝袋を実家に置きっぱなしで薄っぺらい寝袋、というか只のふくろ、しか持っていないこと。

思い起こせば九州自転車旅行には寝袋そのものを忘れてしまい、一晩凍えきった次の朝に大分のホームセンターで980円で間に合わせに買ったのがこの薄っぺらいふくろなのだ。三月の九州は思っていた以上に冷えが厳しくて毎朝体が動かすことが出来ないほどに凍えていた*1。旅行中は気が張りつめていたのか毎日がんがんに走っていたのだけれど、最後に博多にたどり着いて薬院の温泉に浸かったとたんに風邪をひいてしまい、くらくらになって夜行列車に揺られて帰ったのだった。

こう振り返ると僕は毎度毎度不準備で無計画な旅ばかり繰り返してきたようだ。中田英寿に言わせれば旅と人生は同値らしいので僕は人生においても不準備で無計画だということになり、それはあながち間違ってもいない。けれども僕はそもそも、無計画に不準備に生を受け(これは計画的出産とかできちゃった婚とか、そういう話ではなく生まれてくるもの自身にとっての話だ)、そして無計画に不準備に死んでゆくことが生きることの本質だと思っているので、計画や準備というのはせいぜいその内部におけるつじつま合わせであって、それを欠くこと自身が倫理にもとるということはありえないと思っている。むしろ完全に準備され計画された旅や人生が生に対する冒涜であることを思えば、僕たちはいかに準備や計画を限定的に非暴力的に運用できるかということこそ問われるべきである。

出発前に食べた松屋のチゲ鍋定食でおなかを壊したらしい。高雄でトイレに駆け込む。高雄のトイレ寒いよ。お尻が凍ったよ。トイレから出たら電車が一時間ないよ。不準備無計画は楽しいな。

*1:湯布院では金燐湖の湖畔で眠ったので目覚めたらすぐ横の無料の温泉に浸かって暖まれたのでした。あれは最高の朝風呂だったなあ