蟲師/漆原友紀

蟲師 (1) アフタヌーンKC (255)
なにやら最近はアニメ化もされ、人気も高いようだが、1巻の頃からひっそりと愛していた。
伝奇もの好きは要チェック。『遠野物語』と宮崎駿映画(ナウシカもののけ千と千尋?)が組み合わさったような世界観。形式的にはブラック・ジャック型で、無頼派の主人公(蟲師ギンコ)がふらっと訪れ、問題を解決してまた去っていく、一回読みきりもの。舞台設定としてはだいたい明治くらいの山村部がメインだが、作者も言うとおり、時代設定は曖昧で、奇妙な捩れがあり、「いつ、どこで」をぼやかしてしまう。それがまた我々を幻惑させる魅力となる。
蟲とは我々とは異なる命のあり方。普通の人々の眼には見えないが、空間を彷徨い、人々の身体や心に影響を及ぼす。主人公は蟲を見る能力と蟲に関する豊富な知識を持ち、人と蟲との共存を助ける。蟲たちには蟲たちの存在原理があり、彼らはただそれに従って、生きているだけである。その生が人間たちと交差する時に、偶然のように、禍福をもたらす。
僕はこういったアニミズム的世界観に強く惹きつけられる。僕が育ったのは新興住宅地だが、辺りにはまだ山林が多く残っていた。放課後など、そこに足を踏み入れると日中でも薄闇が広がり、ひんやりと湿った空気とざわめくような気配を感じ、不思議に心が騒いだものだった。学部生の頃、自転車で日本中を巡った時にも、都市部を少しでも離れるとすぐに山林が広がり、日本の大半の土地が、まだヒト以外の命の勢力下にあるのを実感した。夜、月明かりだけを頼りにその様な道を走ったり、木々の間で寝袋にくるまったりしていると、日頃の生活が、いかに人間以外の生命に対して盲目になることで成り立っているのかが解る。
きっとこのマンガのような世界観と言うのはつい百年前の山村部では、当たり前のようなものだったのだろう。眼に見えないなにかが、周囲に満ち満ちていて、ある時は幸せをもたらし、ある時は不幸を招く。それに対して人間は無力で、何かにすがりながらも、受け入れて生きていく。
3巻に印象的なセリフがある。
 
「畏れや怒りに目を眩まされるな。皆ただそれぞれがあるようにあるだけ。逃れられるモノからは知恵ある我々が逃れればいい。」
 
僕らが今暮らす世界はこんなに純粋には出来ていない。僕らは何事にも意味や意図を見出してしまうし、そうしなければ生きていけない。善意に満ちているとは言いがたいこの世界で、平和に暮らすためには軍備が必要なのか。何らかの犠牲なしでは平和が存在しないとしたら、そのような平和を求めるべきなのか。
蟲のような異形の存在に想いを馳せることは、決して非生産的な遊戯などではなく、様々な生存原理が衝突しあうこの現実世界でより良く生きていくための想像力を養う作業になるだろう。
変わることなく永遠に続いていくような人々と蟲たちの暮らしを、スペクタルもなく淡々と描く静かなマンガが、エンターテイメント界の片隅で生き続けているのは、嬉しいことである。