君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則(ルール) 

                 
dogs

 



小沢健二dogs(旧題:犬は吠えるがキャラバンは続く)』



 

海岸を歩く人たちが砂に 遠く長く足跡をつけていく
過ぎていく夏を洗い流す雨が 降るまでの短すぎる瞬間
 
真珠色の雲が散らばっている空に 誰か放した風船が飛んでいくよ
駅に立つ僕や人ごみの中何人か 見上げては行方を気にしている
 
いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋りだすのなら
何千回ものなだらかにすぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる
 
愛すべき生まれて育ってくサークル
君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則
 
                    小沢健二天使たちのシーン

二項対立は、イデオロギー的問題でもなければ、当然、悪でもない。単にシンプルな論理の帰結に過ぎない。
 
ある性質 p によって定義される集合 P が存在すれば、必然的にその補集合 P' も存在しる!これは論理的事実であり、すなわち人間の認識の様相を反映したものに過ぎず、いかんとも変えようのないものだ。
 
現在、二項対立へのアンチテーゼとして採られるている策は、論理の攪乱に過ぎない。
 
たとえば別の性質 q によって定義される集合 Q を持ち出したり、性質 p を 性質 p1 と p2 とに還元し、集合 P を P1 と P2 とに分割したりする方法である。僕も含め人間はあまり頭がよくないので、要素が増えるとすぐに混乱する。
 
P∧Qの補集合は、確かに、P'∧Q'ではない。
初等数学の知識がある人はよく知っているように*1P∧Qの補集合は(P∧Q)'であり、すなわちP'∨Q'である(合ってる?)。
同様にP1∨P2の補集合は(P1∨P2)'であり、すなわちP1'∧P2'である。(ド・モルガンの法則)
この程度の単純な論理操作で、我々の日常感覚と論理とは齟齬を来たし、大脳皮質から黒い煙が立ち上り始める。
 
これは一見、二項対立を混乱に陥れ、相対化しているように思われる。
しかし、いくらパラメーターを増大させたところで、依然として p と not-p の対立は存在し続け、q と not-q、p2 と not-p2 の対立も厳然として存在する。
どのレベルで物事を観測するにせよ、ある性質を定義した時点で、二項対立は生まれざるを得ない。この論理的帰結に目をつぶり闇雲に二項対立を否定する作業は、虚しいばかりか知的欺瞞を犯していると言える。
 
目を向けるべきなのは、我々がどうしようもなく二項対立を認識してしまうという、抗いがたい事実であり、従事すべきは、その前提に基づいた上でどう思考すべきか、を問うことである。
 
宗教の違い、肌の色の違い、階級の違い。人間か非人間か、生物か無生物か、有機物か無機物か。そういった様々な対立項は確かに存在し、我々が認識するものである。その心理/真理を誤魔化すことなく、しかし、知的怠慢・思考停止による悪意、軽蔑、絶望に陥ることのない柔軟なイマジネーションをもって生きたい。その鍵がヴィトゲンシュタインの言う「家族的類似」にある、と僕は考えている。

一つの家族内では、構成員すべてに共通した特徴があるというより、彼らの間で体つき、顔の特徴、眼の色、歩き方などの様々な類似性が互いに重なり合い交差している。
           ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン哲学的探求

もちろん僕がヴィトゲンシュタインを理解しているとは到底言えないのだが、これだけは、ただ、根拠もなく、数年前からもう、縋るようにして追い続けていることばなのだ。
 
地球市民だとかガイアだとか、大上段に構えた空虚なことばではなく、差異と類似によるゆるやかな繋がりを見つけていく作業。対立項と類似項の織り成す、世界を貫き周っているサークル=家族的類似を、冷静に見つめていく作業。
 
家族、親戚はもちろん、排泄物、日本民族、炎、モロッコ人、セイタカアワダチソウ山窩ブラックホール天皇、金属、11次元のひも、核兵器、宇宙人、クウォーク、cエレガンス、近所の人々、宇宙線、女、チンパンジー北朝鮮人、木星路傍の石ジョン・レノン…。
 
どれもが僕と絶望的に異なり、驚異的に類似している。そんな壮大ながらも頼りない思いに浸りながら、僕は、何年も、何年も、飽くことなく「天使たちのシーン」を聴く。

毎日のささやかな思いを重ね 本当の言葉をつむいでいる僕は
生命の熱をまっすぐに放つように 雪を払いはね上がる枝を見る
 
太陽が次第に近づいて来てる 横向いて喋りまくる僕たちとか
甲高い声で笑い始める彼女の ネッカチーフの鮮やかな朱い色
 
愛すべき生まれて育ってくサークル
きまぐれにその大きな手で触れるよ
長い夜をつらぬき回ってくサークル
君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則
 
                    小沢健二天使たちのシーン

絶望的な差異と驚異的な類似とによって、結ばれ、そして区切られていく素粒子の集まり。宇宙をその開闢から支配し続けているのは、小沢健二が歌うように、きっと、緩やかな止まらない法則なのである。
科学的思考・合理的思考は、思われているほど、冷たく非情なものではない、そう信じて僕は生きて行きたい。
 

*1:このムカつく物言いは、立花隆氏を参考にしました。id:shokou5:20051202:p2