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EDEN(14) (アフタヌーンKC)
 
 
 
 
 
 
 
遠藤浩輝EDEN(14) (アフタヌーンKC)
 

悪いひとたちがやって来てみんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され 老人と子供は燃やされた
若者は奴隷に 歯向かう者は一人残らず皮を剥がされた
 
悪いひとたちはその土地に家を建てて子供を生んだ
そして街ができ 鉄道が走り
悪いひとたちの子孫は増え続けた
山は削られ 川は死に ビルが建ち並び
求められたのは発明家と娼婦
                          浅井健一

近未来的失楽園
免疫系の暴走をもたらすウイルスが蔓延し、小さな孤島の研究施設の中に最後に残されたのは一人の少年と一人の少女。滅び行く楽園でカーティス・メイフィールドのレコードに合わせて踊る(中学生の僕はこのマンガで初めてカーティス・メイフィールドを知った)。えらく感傷的なSFだなと思ったところが、世界の終わりの楽園なんてものは嘘っぱちで(世界滅亡後の共同性という夢)、大陸ではウィルスの被害を免れた人々が憎み合い奪い合う相変わらずの醜い世界が続いていた、というお話。少年は島外から訪れた父を殺し、島を出て、2巻以降では麻薬密売集団の頭領として登場する。このあたりは 浅井健一版旧訳聖書とも言える「悪い人たち」の世界観が濃厚に立ち現れてきている*1。僕たちがみなカインの子供であるように、2巻以降の主人公はこのマフィアのボスの息子なのだ。イノセントの余地などまるでない。
近未来的な科学技術やグノーシス思想などをもっともらしく散りばめつつも、繰り広げられるのはただのヤクザの権力抗争。血で血を洗うアナクロな戦闘の日々が良くも悪くも『遠藤浩輝短編集1』の頃と変わらないナイーブな世界観と細い線で描かれる。短編集における日常モノではベタなメタだかメタなベタだかが鼻に付くことも多いのだけれど、EDENのように超国家まで巻き込んでの権力抗争となるともはや展開のスピード感にベタもメタも後ろに吹っ飛んでしまう。ベタだとかメタだとかごちゃごちゃ御託を並べている間に首が飛んでしまうのが現実の世界なのだ。そしてそのような現実というのは日本では巧妙に隠されているのだけれど、少し窓を開けてみさえすれば(Windowsだって良い)すぐ目に飛び込んでくる。最新14巻で描かれた国連軍の無力ぶりと境界線の残酷さだって、ついこの間「ホテル・ルワンダ」で目にしたばかりだ。「ホテル・ルワンダ」だって映画作品じゃないかという突っ込みは馬鹿馬鹿しくて、幾重ものコミュニケーションを経てしか得ることのできない現実は山ほどある。テレビや新聞のニュースだってそうだろう。結局、情報をリアルなものに変えることが出来るのはいつだってそれを手にしたものの行動なのである。
遠藤は高潮や爽快感の欠片もない「終わりのない世界」を描く。それは結局僕らの住む世界と大差がないのだけれど、SF的物語の中で閉鎖的に戯れるのではなく、少しでも現実に穴を穿とうとする遠藤の奮闘に僕は単純に共感を覚える。これから先の見所は主人公がただ場当たり的な「終わりなき日常」を生きるのではなく、どのようにして共同性へと到達できるか、という点だろう。

*1:遠藤は短編集『遠藤浩輝短編集1』で BLANKEY JET CITY の「悪い人たち」「Girl」を引用している