真夜中に音が降ってきた

 
ステアケイス
 
 
 

 
 
 
昨夜は夜に一人で焼酎を飲んで、いい具合に回ってきたところで眠ろうかと思ったのだけれど、ついつい柄でもなく腹筋運動など始めてしまった。床に寝転んで足を垂直に上げ、勢いよく振り下ろして床に付かない様にしてまた高く上げる、というやつである。この方法は中高生時代の部活の時に二人ペアになって行っていたもので、なんだか一人で出来るという発想が全く沸かず、それきりだったのだ。どこかのブログか、夜のコンビニエンス・ストアで立ち読みした『Tarzan』あたりで、この運動が当然のように一人でも出来ることを知ったのだけれど、二人でするべきものが一人でも出来る、ということに新鮮な喜びを覚えてしまい、それ以来、ぴょこぴょこぴょこぴょこ足を上げ下げしているのである。そのうち会話もセックスも一人で出来るようになるかもしれない。テレビからは宮沢和史のソロ・ライブが流れていた。僕はこの人が口をまっすぐに空けずに、 д のような、妙に歪んだ形にして歌うのが昔から好きである。マイクと口の間の距離の微妙な調整も好きだ。それに関しては五木ひろしについても同じである。そうこうしているうちにさっぱり酔いも醒めてしまった。ベッドに入っても闇の中で頭は明晰さを失わない。導眠剤にと、買ってきたばかりのキース・ジャレットをかけてみると、まるで掌から砂がぱらぱらと零れ落ちていくような、リズムと同期することのない分散和音が僕を包み始め、これをどのようにして楽譜に表記したらいいのだろうか、などと思考はとどまることがない。和音を構成する音の粒の中に身を委ね、現れては消えていくひと粒ひと粒をいとおしんでいると、ピアノの砂粒はやがてしとやかな雨音へと移り変わり、6月のアルペジオが夜の街中を満たし始めるのだった。