夕焼けパノラマ

小林秀雄「美を求める心」(『考えるヒント (3) (文春文庫)』)より

美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。(中略)そういう姿を感じる能力は誰にでも備わり、そういう姿を求める心は誰にでもあるのです。ただ、この能力が、私たちにとって、どんなに貴重な能力であるか、又、この能力は、養い育てようとしなければ、衰弱して了うことを、知っている人は、少ないのです。

 
研究室のある七階のベランダから。31万画素のケータイカメラの哀しさで、あの凄みのあった紅を全く再現していないけれど、眺めがいいのはよくお分かりいただけると思います。武蔵野台地の西方を一望に。右の方が新宿新都心の高層ビル街。天気のいい日は左の方に富士山もくっきりと浮かぶ。
 
夕焼けパノラマ
 
今日の東京の夕焼けの赤は本当に鮮やかで、ただ綺麗というのではなく、不穏さも感じさせるような淡い毒も含んでいて、白い研究棟の外壁さえ赤く染め上げいた。僕はベランダに出て30分くらいの間、空と雲の色の移り変わっていくさまを夢中になって眺めていた。
S席で鑑賞するオペラとか、贅の限りを尽くしたフランス料理とか、三つ星ホテルのスイートとか、僕が死ぬまで味わうことの出来ないかもしれない数々の「美」を思うと、絶望的な気持ちになった頃があったのだけれど、そんなとき、ふと見上げた夕焼けの美しさに気付いて随分と救われた経験がある。この先、どんな境遇に置かれても、この眼が見える限り、この美しさを享受する権利だけは僕にも保障されているのだと思った。
レイコフとジョンソンの『肉中の哲学』では、「空の青」は身体の外部の世界に実在するのではなく(空に関しては、青い光線を反射する表面という実体すら存在しない)、光と僕たちの(ニューラルな)身体との相互作用によって生じる、一つの現象であるという主張がなされている。身体を離れて「空の青」という本質は存在しないのだ。そして空の色が人の心にもたらす「美」という現象も、やはり、身体を離れては存在し得ない。夕焼けの美しさは、僕と雲と太陽の光とが、ある特定の結ばれ方をして初めて生じる、貴重な一瞬の現象なのだ。
夕焼けの美しさが僕を勇気付けてくれた時に、ここまでのことを考えたわけではなかったのだけれど、ミシュランの格付けより遥かに強く信頼を置くべきものがある、ということを、その夕焼けは直感的に信じさせてくれた。そしてその美の基盤となるこの身体を、もっともっと大事に養い育てていきたい、と僕は思った。