脳の中の意図

 

 

風も自分の思いのままに吹いているが、あなたはその声をきいても風がどこから来てどこへ行くかを知るまい。霊から生まれた人もそれと同じである。

ヨハネ福音書第3章 1-8

 

本当の自由意志を理解する鍵は、奥深くにある何か特別な塊の中ではなく、文化に囲まれ、社会化され、相互作用し、認識しあう、主体としての人間の無数の関係の中にこそ自由意志が宿ることを知ることだ。紐を操る人形師に全ての力を詰め込んでしまうデカルトの誤謬を古い伝統は犯している。この内側の主体を消し去って、その任務を脳全体のみならず、身体や、「外界の」文化貯蔵庫 ―ミーム、それからほんの少しの (人間の) 友人たちの助け― の中に分散させてしまえば、僕たちは自由意志を消し去る必要なんてないのだ!僕たちは自由意志を時空間の中に分散した現象として見做すこともできる。
Daniel Dennett "Some observations on the psychology of thinking about free will"*1

 
久々の fMRI 論文レビュー。普段チェックしていない雑誌に載っていたのを後輩に教えてもらったのだが、ちょうど Shuzo さんのところで知ったデネットの自由意志に関する最新論文を訳していたり、id:ichinics さんの自由意志についての日々の考察に色々考えさせられていたためもあって、かなりのヒット。なおここでは意志 (will) と意図 (intention) とを区別せずに使わせていただきます (ライルがどうのこうのは考えない)。
 

Reading Hidden Intentions in the Human Brain
Haynes JD, Sakai K, Rees G, Gilbert S, Frith C, Passingham RE.
Curr Biol. 2007 Feb 7; [Epub ahead of print]

 
Passingham、Frith、坂井先生などなど日独英の共同研究。筆頭著者の Haynes は Ress と共に脳内表象のデコーディングの研究をしている方。昨年のNature Review Neuroscience の Decodeing mental states from brain activity in humans が記憶に新しい。
 
一言で言うと、前頭前野に課題のゴール (=意図?) が表象されている、という話。具体的に言うと、足し算もしくは引き算を準備している際、それぞれに対応した異なるパターンの活動が前頭前野に空間的に分散した形で表象されていた、ということ。さらに言えば、前方内側前頭前野 (MPFCa: anterior medial prefrontal cortex) の fMRI 信号を見れば、被験者がこれから足し算をしようとしているか、引き算をしようとしているか、が71 % の精度で予測できます、ということ。
 
ゴールに向けた処理を行っている際に前頭前野の活動が高まるのは、以前から知られていたのだけれど、これが運動の準備のためなのか、選択肢をキープしているためなのか、以前の記憶を辿っているためなのか、などなど解釈は様々だった。
 
今回の実験課題は、被験者に2つの数字の足し算もしくは引き算を行わせて、正しい答えを4つの数字の中から選ぶ、というもの (Fig.1) 。ポイントは、2つの数字を見る前に被験者が自由に、足し算を行うか引き算を行うかを決めることができるということ。
実際の課題としては "select" という文字が表示されてから、被験者は足し算を行うか引き算を行うかを選ぶ(ここが delay period)。そして 2.7 ~ 10.8 秒後に上下に並んで2つの二桁の数字が提示される。ここで被験者は予め決めておいた計算を行う (ここが execution period) 。そして 2 秒後に足し算の答えと引き算の答え、それから2つの関係のない数字、合わせて4つの数字が並んだ画面が提示されるので、被験者は自分の計算の結果と一致する数字を選択する。4つの中には足し算と引き算、どちらの計算の答えも含まれているので、被験者がどの数字を選んだかによって、実際に被験者が行ったであろう計算を決定することができる。
 
このようなパラダイムを組むことによって、被験者の実際の計算の過程や、答えを選ぶ際の運動から、純粋な「意図」を分離することが出来るのだ。まだ数字を見ていないから具体的な計算は出来ないし、正しい答えが4つの選択肢のうちのどれかも知らないから、どのボタンを押して回答するかも決められない。この段階で被験者の心の中にあるのは「足し算をしようか、引き算をしようか」という「意図」だけなのだ。
 

Q: 私が腕を上げるという事実から、私の腕が上がるという事実を引いたら何が残るのか。 (Wittgenstein)
A: MPFCa の活動パターン。 (Haynes et al.)

 <詳細> (専門外の方は飛ばしてくださって結構です)

MRISiemens のAllegra 3T。パラメータは、TR = 2,730 ms, 42 slices, voxel size = 3.0×3.0×3.0 mm。被験者は8人。
まずはSPM2で通常の General Linear Model に基づき、delay period > execution period *2 となる領域を探す。
デコーディングの方法としてはサーチライト・アプローチ*3という手法を採用している。脳内のある点を取り囲む局所的な活動の空間パターンを情報として扱うものだ。具体的にはある voxel (ここでは i とおく) を中心に半径 3 voxel の球をとり、その中の N 個の voxel の活動値を N 次元のベクトルとして扱う。そうすると被験者が足し算をしたときの 活動値から Xr,1....N というベクトル、引き算をしたときの活動値から Yr,1....N というベクトルを生成することができる(r って半径だろうか?)。そして多次元 pattern classifier*4に学習 "training" をさせる。つまりこのパターンは足し算のとき、このパターンは引き算のとき、という例を沢山与えるわけだ。この学習には全部で 8 つの run のうちの 7 つの run を用いる。そして学習が終わった後、残りの 1 run のデータに対してテスト、つまり pattern classifier にどれが足し算のときの活動で、どれが引き算のときの活動なのか、推論を行わせる。この時の正答率が voxel i の Decoding Accuracy となる。Decoding Accuracy が高いということは、学習が成功していることを意味し、すなわちその voxel は足し算/引き算のチョイスに関わる情報を豊富に含んでいる、ということになる。training とtest とで独立のデータを用いることで cross-validation をしっかりとっているわけだ。これをしないと Grill-Spector et al. (2006) みたいなことになってしまう…*5
これを各被験者ごとに、全ての training run と test run の組み合わせ (8 通り) で行い、その全被験者で平均した値を脳の 3D 画像に緑色のグラデーションでマッピングしたのが Fig.2 。(右の?) 前方内側前頭前野 MPFCa での Decoding Accuracy が 71 % と最も高いが、他にも左前頭弁蓋部 (LFO: left frontal operculum)、右中前頭回 (RMFG: right middle frontal gyrus)、左外側前頭前野 (LLPFC: left lateral prefrontal cortex)などが 60 〜 70 % ほどの Decoding Accuracy を示している。
それから、同様のトレーニングを、execution period (つまり計算を行っている最中の活動パターン) に対しても行ってマッピングしたのが Fig.2 の赤いグラデーション。こちらは後方の内側前頭前野 (MPFCp: posterior medial prefrontal cortex) が Decoding Accuracy のピークで、こちらも大体 70 % ちょっとだ *6
重要なのは前部の「意図」に関わる領域と後部の「実行」に関わる領域とが乖離していること。「意図」に関わる領域では「実行」に関する Decoding Accuracy は chance level だ。
また内側前頭葉における足し算の場合と引き算の場合とでは脳の活動の強さそのものには違いがないことから、「意図」は詳細な空間パターンとしてエンコードされていることがわかる。
 <考えてみる>
従来の ERP 研究などでは確かに運動前の脳活動から被験者の行動を予測することに成功していたのだけれど、運動前の脳活動が、純粋な「意図」なのか、運動の準備なのかが分離できなかった。この実験では計算の答えに対する運動(指の動き)や実際の計算作業が不可能な段階であっても、これから行うべき認知処理 (足し算/引き算) に対応する脳内表象を抽出できているのが新しい点だ。
計算をチョイスしている際 (delay period) に足し算/引き算の情報を担っている部位 (MPFCa) と、実際の計算を行っている際 (execution period) に足し算/引き算の情報を担っている部位 (MPFCp) が異なっていることからも、「意図」と「実行」の分離ははっきりと示されている。またこの分布から脳の内側の前方から後方に向かって、意図→実行というグラデーションが描ける、ということも先行研究と一致して示された。
今回の結果は、「意図」とは事後の解釈によって行動に対して与えられる「理由」でしかない、と考えるアンスコムに対するはっきりとした反証となるのではないだろうか。
 
今回注目している脳活動は、おそらく、実際の足し算/引き算のチョイスが意識に上っている段階のものだ。では、被験者が実際に意識的にチョイスを行う前の脳活動はどうなっているのだろう? "select" の指示が出る前から、被験者の行動は脳内で「決定」されているのでは? これは恐らく正しく、恐らく間違っている。実際の行動の因果を辿っていけば「意図」はどんどん時間的に空間的に分散してしまう。友よ、答えは風の中。だから脳内の情報量は因果を遡れば遡るほど低下するだろう。それでも決定論は成り立つし、自由意志も存在する、ってのがデネットのラインだ。
それから今回の実験課題は「自由に」行動を選択できる、とされているけれど、選択肢は足し算と引き算の2つに限定されている。もちろんこれは厳密な実験を行う上では当然の制限であるけれど、日常における複雑な選択が、どのように脳内で表象されているかはまだまだわからない。これと関連して、今回観測された空間的に分散した情報は、ポピュレーション・コーディングを反映しているのか、それとも前頭前野におけるコラム構造を反映しているか、という問題も非常に重要だけれど、この分解能じゃ何とも言えない、と著者らは述べる。コラム構造が実現されているとすると非常にシンプルでわかりやすいけれども…今回の実験では実際の「実行」とは分離された「意図」を計測しているのだから、もし足し算/引き算の「意図」がコラム構造で特異的に表現されているとすると、一体いくつのコラムがあれば人間の全ての行動の「意図」を表現できるのだろう…。それともこれらのコラムは多様な選択に対し、その都度に異なる「意図」を可塑的に表象するのだろうか?だとすれば足し算と引き算に対する「意図」が一定のパターンで表象されることの本質的な意味は何なのだろう?
 
著者らが述べるように、今回の内側前頭野のパターンが、課題のエンコーディングに一般的に関わるのか、足し算/引き算の選択に特異的に関わるのか、は決定できない。しかし、考えれば考えるほどに、「一般的な課題」とは果たして何なのか、という問題が生じる。意識的であろうが無意識的であろうが、選択肢 (つまり「意図」の意図するもの) を持たずして人は意図することが出来ない、とすれば、今回の活動パターンは、もちろん、(指の) 運動の準備とは違うけれども、やはり、足し算/引き算という、ある種の「認知的運動」の準備として捉えることが出来るのではないか、と思う(それがポピュレーション・コーディングか否かは、やはり、わからないけれど)。
「意図」とは結局突き詰めれば、そういう、一見つまらないようなものになってしまうのではないだろうか。かといって、もちろん、この実験結果が確かに示すとおり、意図=意志は「脳の中の幽霊」ではない。「意図」は脳内に隠されている、というよりも、大きな因果の流れの中の、まるで伏流水のようなものとして捉えた方が良いような気がする。もちろん、地下の流れは(も)、とても複雑かつ重要だから、調べる価値は十分、ある。
 
補足:アンスコムに関しては僕の記述だけでは不十分ですが、以下のサイトがまとまっていてわかりやすいと思います。
 システムにとって意図とは何か

*1:原文PDF

*2:Supplemental Data がまだ up されておらず、現時点ではP値不明。

*3:Kriegeskorte, Goebel, & Bandettini (2006) 参照。

*4:Muller et al. (2001) を参照。ソフトウェアはLIBSVM

*5:詳しくはpooneil さんviking さんのページを参照。後日談がpotasiumch さんのところに。

*6:正確な値はわからない。