批判力を鍛える大人のおもちゃ

 


脳トレ

 
川島隆太先生が Nature Neuroscience に登場。といっても論文ではなく、脳トレ・ゲームに関する注意を喚起するEditorial (編集前記のようなもの) の中で真っ先に名前が挙げられているのだ。
 

Exercising to keep aging at bay
Nat Neurosci. 2007 Mar;10(3):263.

 
記事に拠れば、海外でも川島先生監修の "Brain Age: Train Your Brain in Minutes a Day" を筆頭に様々な脳トレ・ゲームが続々と発売されているようだ。
集中的なメンタル・トレーニングを行えば確かに、その特定の課題の成績は上がるわけだけれど、それが日常生活の質を向上させるものであるかどうかは、全く保証の限りではない。この記事の中では様々な実験結果が紹介されているけれど、結論としては決定的なことは何も言えない、ということだ。記事は以下のようにしめくくられている。
 

科学が念入りに妥当性を保証するまで、大衆が老化を遅らせる特効薬に飛びつくのを悠長に待つ気はないのは明らかだ。また、こういったプログラムの妥当性がしっかりと保証されるまで、企業が高齢者に向けたプログラムを市場に投入するのを控えるのを期待するのも非現実的だろう。しかし、最低限、企業は製品を用いた統制された実験結果をピアレヴュー誌に発表するべきである。これらのプログラムに投資する高齢者は、製品に効力があるかを知る権利がある。
身体的な健康や認知的な努力を保つことには害はないだろうが、こういったプログラムの唯一のマイナス面は財布の中身が減ることだ、とほとんどの科学者は考えるだろう。それでも、科学的な信用を、その主張に沿わないような製品に与えることにには特有の危険がある。こういった認知的プログラム (もしかすると運動と認知的エクササイズを組み合わせた Wii に似たような将来のヴィデオ・ゲーム) を詳細に吟味するかわりに、お婆ちゃんは毎日の散歩を欠かさず、社交的で、商業的なゲームの助けを借りずに精神的に負荷を加えたほうがよいのかもしれない。

 
おお、Wii にはそんなゲームの可能性もあるのか、ってのはさておき、その「特有の危険」についてもっと突っ込むべきだろうと思うのだけれど、あまり産学連携の足を引っ張ると脳科学業界全体が沈下する恐れもある (ニューロ・マーケティングはキてるからなあ) わけで、そこらへんは濁さざるを得ないのだろうか。nosem さんのところで知った理系白書の記事では川島先生が取材に答えていらっしゃる。
 

東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメージング)は今、最も注目される脳研究者の一人だ。97年に、ヒトだけに発達している脳の前頭前野が、人間らしい「賢さ」「理性」にかかわっているという仮説に基づき、先端計測技術で検証を始めた。国のプロジェクト「脳科学と教育」で、単純計算や音読が前頭前野を活性化させることを見つけ「学習療法」と名付けた。
 
 03年に発表した論文では、認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テストの成績が上がったと報告。何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認知機能改善に効果がある」と考察した。
 
 こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。06年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた。
 
 川島研には年間数十社から共同研究の依頼が来る。東北大が半分近くに絞って共同研究契約を結ぶ。商品化は企業が担当し、契約料や売り上げの一部は大学の収入になる。川島教授は産学連携の一方で多くの共著論文を発表し、昨年活躍した科学者を表彰する文部科学省科学技術政策研究所の「ナイスステップな研究者」にも選ばれた。
 
 ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは「川島氏の研究は科学的な手続きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にならないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す。
 
 川島教授は「(脳トレは)脳研究の重要性を理解してもらうための社会貢献の結果。もちろん、ここまできてウソだったら科学者の資格はないと覚悟しているが、社会への出方を完全に制御はできない」と話す。

 
個人的には津本先生から脳トレおよび川島先生への直接的なコメントは初めて聞いた。計算だけで認知症*1にならない、なんていう誤解は、まさか、おこらないとは思う。本当は津本先生もはっきり苦言を呈したいのかもしれないけれど、論文も確かに出ているから、なかなか難しいところだ。川島先生はもう腹を括っていらっしゃる様子。といっても現時点では、脳トレに効果はない、という反証自体がほとんど不可能なわけで、それによって川島先生の科学者の資格が云々されることはないと思う。重要なのはウソかどうかではない (ウソは問題外だけれど)。
 
fMRIで脳のどこそこが光った、とかいうのは、パソコンに手を当ててここが暖かい、とか言っているのと同じレベルだ」。これは細胞レベルで脳科学をやっている友人から喰らった手痛いコメントだ。単純化しすぎているきらいもあるが、重要な一面を突いていると思う。確かに fMRI だけで脳の機能の本質に迫ることが不可能なのは、この分野の全員が自覚していると思う。それでも、どこがどんなときに暖かくなるかということですら、未知の領域が果てしなく広がっていて、そこに心を奪われて研究に励んでいるのが僕たちなのだ。そしてその先に全く新しい何かを見たいと思っている。これが現時点での脳機能イメージングの水準なのではないだろうか。その自覚があれば (特に高次機能に関する) fMRI の実験結果をすぐに製品化するような大胆な試みにはとても出られない。いわんや脳トレに続けて、更なる共同研究契約を何十社?とも結んでしまうのは、ちょっと問題ではないだろうか。マーケットに都合のいい結果がばんばん出てくるほど、脳は容易いものではない、というのが数年間脳科学に携わってきた僕の印象だ。

*1:この呼称も問題だよなあ。鈴木宏昭先生のサイトを参照: http://edhs.ri.aoyama.ac.jp/~susan/archives/2004/12/post_36.html