真夏の夜の事〜旅の手帳から〜

毎夏恒例となりましたが、明日、札幌へ向かいます。去年の写真を整理していたら、札幌の最後の夜のことが夢のように蘇ってきました。

金曜日の夜。僕は北大の友人にすすめられた北 13 条のピカンティでスープカレーをすすっていた。後から後から滲み出てくる汗を拭って、グラスの水を飲み干す。よし。いよいよ出発だ。小樽行き最終列車は 22:40 札幌発のエアポート221号。店を出て札幌駅のほうへ大きく足を踏み出す。と同時に携帯電話が鳴る。札幌のストリートミュージシャン (仮) の A くんからだ。どうしたんだろう。彼とは 4 日前に 1 年ぶりに会ってベトナム料理を食べて随分いろんな話をした。会うのは 2 回目なのに旧友と話すような気分だった。そして、もうこの夏会うことはないだろうと思っていた。
「あ、いま狸小路でバイオリン演奏しているんだけれどもし暇だったら来ない?」
僕は迷わず小樽を捨てた。小樽は明日も小樽。でも A くんのステージは今夜だけ。
僕が狸小路のアーケードに着いたとき、 A くんは道に座り込んで電話中だった。バイオリンは道に放っている。随分楽しそうに喋っていて、僕に気付いても軽く相槌を打つだけ。まったく。どうせ彼女と話しているに違いない。僕は近くのコンビニに入ってフィルムとビール二本を買った。
ようやく電話が終わって再会の乾杯。どうやら弾き始めてすぐにバイオリンが壊れてしまい、ブリッジがなかなか固定できずに困っているらしい。持ち合わせの紐で補修しようとするが、弦を強く張るとどうしてもぱたりとブリッジが倒れてしまう。

苦戦する A くん。30分ほど格闘していただろうか。結局、弦の張りは控えめに、低めの調律で引き出す A くん。バイオリンにしては落ち着いた音色だけれども、彼の情熱は真夏の夜のアーケード街に迸る!

だんだん調子が出てきてお客さんも集まってくる。A くんもリクエストに応えたりして盛り上げる。

女性客には僕に向けたことのない愛想を振りまいて惜しむことのない A くん。僕は地元のライブハウスにやたら詳しいおばちゃん(フィッシュマン好き)に絡まれる。「あんたもバンドやってるの!出なよ!」 全国ツアーの折にはぜひとも。
彼の調子が出始めた頃、また電話が鳴る。どうやら他の知り合いにも声をかけていたらしい。しばらくして、やってきたのは会社の飲み会帰りの奇麗な OL さん。なんと、僕は彼女、F さんが来るまでの、バイオリン補修の傍らの暇つぶしだったのである!俺の小樽を返せ!!そんな僕の怒りには目もくれず、F さんを前にますます演奏に気合の入る A くんであった。
演奏が一区切りついて、もう一度お酒を買ってきて A くんと F くんと三人で乾杯しなおす。初めて会った F さんとも楽しく会話が弾む。僕も旅の恥は掻き捨てとばかりに色々詰まらないことを口走ったようだけれど、もうすっかり忘れたよ。

じゃれる A くんと F さん。
楽しい時間はあっといいう間に過ぎてもう深夜。僕らは大通り公園で北南西の三方に散って別れた。素敵な音と人に溢れた最高の旅の夜だった。薄暗い公園にとり残されてなんだか寂しい気もしたけれど、なに、小樽に行ったって道端で独り寝るだけだったはずじゃないか、と呟いてごろんと芝生に横になる。もうすっかり背中に馴染んだ大通り公園西 9 丁目のくじら山のてっぺんで、僕はすぐに眠りに落ちた。
翌朝、強い太陽の光に目をこじ開けられた僕は、朝早い小樽行きの電車に飛び乗った。

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風のうわさでは、その後、A くんと F さんは交際を始めたらしい。くそ、俺はやっぱりダシにされたのかよ!いや、いいと思います。A と F って、藤子不二雄とか、俺、大好きだし!ふたりのことも同じくらい大好きです。いつまでもお幸せに!

 
以上は真夏の夜の想像のストーリー。意味なんてありません。

 
おまけ。

A くんのバイオリン・ケースには「雲からも/風からも/透明な力が/そのこどもに/うつれ」という宮澤賢治の言葉がありました。ときどき A くんから届く手紙や写真にふれると、北海道の雲や風の透明な力が流れ込んでくるように感じます。