増田浩之『犬と親父』

      犬と親父
第3回、新風社・平間至賞の大賞受賞作品だそうだ。平間至が自らの名前を冠した賞を出すほど偉くなっていたとは、寡聞にして知らなかった。聞けば、どうやらこの賞は新たな写真ムーブメントを起こすために新興出版社の新風社が立ち上げたもので、幅広い若手から作品を募集するために平間を選考委員長に迎えているらしい。しかし、どんなにビッグになっても平間氏と言えば、私の中ではエレカシ宮本にポーズを要求して殴られた男なのである。
さて、ご紹介する増田浩之の『犬と親父』であるが、ご覧のとおり表紙からして、何とも言えないユウモアが漂っている。この写真の人物はどうやら増田氏のお父上らしいのだが、はしがきに拠れば、もともと動物嫌いのところ、何を思ったか突然犬を飼い出し、犬に手綱を引っ張られて転倒、骨折という経緯らしい。そこで、この表紙の、切なくも愛の溢るる、駄犬を見つめる表情である。
このお父上は兎に角、犬と散歩に出る。歩く。写真はその一匹と一人の風景を追いかける。お父上の犬を見つめる視線には優しさと不安とが混ざり合い、どちらが主でどちらが従であるかも一見、判然とせぬ。犬とお父上の距離は、縮まっては、広がり、決して蜜に成り過ぎぬ*1。そしてその距離感は写真家とお父上の関係でもある。この距離感が心地よい。私小説的でありながら、決して私情に溺れない。背景となる町並(どうやら富士市辺りのようだ)が主張しすぎていないのも良い。そして終盤、ギブスの取れたお父上が、やはり、犬を連れて散歩している風景では、存外に大きい、しかし、決して嫌味ではない、富士の峰が、ゆったりと犬と人間を見守っている。この構図で幸福を感ぜぬものはいないだろう。
90年代半ば以降の我が国では、あまりに私的で対象との距離すら曖昧な写真が俄然勢力を振るっているが、いい加減、食傷である。撮る主体と対象との間のレンズを意識した、静かなユウモアとペエソス。それが私の欲する写真である。
 
さて、私小説的でありながらするりとそこから逃げて行くユウモラスな構成、富士の麓の町、駄犬と中年男との奇妙な愛、と言えば太宰治の「畜犬談」が思い出される。というより、私はほとんどこの写真を眺める間中、「畜犬談」を重ねて見ていた。かつて佐内正史氏が太宰治の短編「女性徒」に写真を加えて出版した傑作があった*2が、同様にして、この『犬と親父』は、「畜犬談」とのコラボレーションとしても成立する作品である。

*1:例えば、ブルース・ウェーバーの犬の写真は苦手です

*2:太宰治著、佐内正史写真『女生徒