ブローカ野と言語:新たな提唱②

The emergence of the unmarked: A new perspective on the language-specific function of Broca's area
Tanja Grewe, Ina Bornkessel, Stefan Zysset, Richard Wiese, D. Yves von Cramon, and Matthias Schlesewsky
Human Brain Mapping (2005)

からの続き
 
ドイツ語の特性を利用して、ブローカ野、特に下前頭回弁蓋部(以下BA44)の言語機能を詳細に検討。
 
(1)ワーキングメモリに関して 
 代名詞だろうと非代名詞であろうと、組み換え文に必要なワーキングメモリは同じはず(Gibson 1998)。
 だが、結果はBA44の活動は、非代名詞文のみコントロール(代名詞のないSOVの文)との有意差を示した。
 ⇒BA44の活動はワーキングメモリには影響されない。
 
(2)変形操作に関して
 ドイツ語の組み換え文に関しては2つの立場があるので双方を検討。
 ①代名詞は全てMiddlefieldの左端に移動する(Haider and Rosengreen 2003 etc.)。
  主語でも目的語でも、代名詞ならば必ず移動・変形が起こる。
  ⇒BA44の活動は、主語でも目的語でも代名詞の組み替え文はコントロールと有意差なし。
 ②代名詞目的語のみ変形が起こり、代名詞主語は変形しない(Chomsky 1986)。
  代名詞目的語のみ弁蓋部の活動が上昇するはず。
  ⇒コントロールと有意差なし。
 以上より変形操作もBA44の活動に影響しない
 
(3)容認度に関して
 非代名詞目的語による組み替え文は容認度が低く、BA44の活動が上昇する。
 だが、さらに容認度の低い、"2つの目的語を両方とも前に出した組み換え文"と比較しても、BA44の活動に差はない
 ⇒容認度もBA44の活動に影響しない。
 
以上より、ワーキングメモリ、変形操作、容認度の全てがBA44の活動の主要因としては棄却される。どうやらBA44は、「代名詞は非代名詞の名詞に先行しなければならない」という規則に違反している場合に活動が高まるようである。
そこで筆者たちの提唱した仮説は「BA44は階層構造の線形化を担う」というもの。つまり幾つか可能な構文がある際に、実際にどの順序で発話されるべきかを評価、決定する機能を担う、ということだ。
ここで著者らはJackendoffの『Foundations of Language: Brain, Meaning, Grammar, Evolution』における3層構造モデルを持ち出す。
                      Foundations of Language: Brain, Meaning, Grammar, Evolution
Jackendoffは、言語において統語、意味、音韻の3つのレベルが、それぞれのインターフェイス・レベルで相互作用しあうモデルを提案している。統語が幾つかの構文を許容する時、意味や音韻の制約がインターフェイス・レベルで適用され、最適な線形化―つまり発話の順序―が決定される、とするのである。
著者らはこのインターフェイスの機能をBA44は担っている―つまり統語、意味、音韻といった複数のドメインの情報がBA44で統合、処理されている―と考えている。
 
この論文は言語実験にありがちな曖昧さや、コントロールの甘さを排除している点では、非常に満足できる。ドイツ語に固有の現象を上手に料理して、普遍的な結論にもっていく所は是非見習いたい。英語で実験の出来ないDisadvantageをAdvantageに。
 
だが、いくつか不満も残る。
まずワーキングメモリだが、Gibsonは代名詞でも非代名詞でもワーキングメモリのコストが同じだとは言っていないはず。Gibsonは維持のコストと文脈への統合のコストの2つを考えている。確かに代名詞でも非代名詞でも維持のコストは同じかもしれないが、文脈への統合のコストに関しては、新情報(非代名詞)は旧情報(代名詞)よりコストがかかると言っている。となると非代名詞の組み換え文のほうが、代名詞の組み換え文よりもワーキングメモリコストは高まるはずで、結果はそれを反映しただけではないのか。
もう一つはコントロールと各条件で全脳での直接比較が行われていないこと。非代名詞目的語の組み換え文で活動した領域を取り上げて、そこでの各条件ごとのSignal Changeを比較しているのだが、恣意的ではないか。非代名詞目的語の組み換え文は容認度も低く、規範的な組み換え文とは言えない。その場合の活動は正しい組み換え文による活動を反映していないかもしれない。他の条件におけるBA44のLocal Maximaで比較すれば結果は異なる可能性がある。などなど。
 
とはいえ、ブローカ野の機能に関する新たな知見の提示はエキサイティングで、しかも、それがJackendoffの理論に拠っているのも面白い。僕も今ちょうど『Foundations of Language: Brain, Meaning, Grammar, Evolution』を読んでいる最中で、文法の心的実在性、というより、物的実在性というものを真摯に検討する姿勢に非常に共感しているところだったのだ。言語学では文法の心的実在を主張する方々は多いが、物的実在にまで視野に入れて理論を打ち立てている例は少ない(と思う)。ミニマリストは確かに従来の生成文法に比べ計算的な洗練度は高いが、なんだか実在性が心許ない。あんなに動いていいんだろうか。ムーブメントを説明するパワーポイント作りがやたら大変であった。音韻、統語、意味という複数の階層をなんとか繋ごうというJackendoffの試みは成功しているかどうかはまだ分からないが、これからの言語研究でますます重要な課題になってくると思われる。
神経科学からJackendoffへの回答として、この論文は価値ある一歩を踏み出していると思う。