「あ…」「あん…」 脳は騙せない。

脳は優秀な予想屋です。外界に適応していくためには、常に外界の環境を察知し、次なる状況を予測しなければなりません。
これは言語に接しているときも同じです。すばやく文の内容を理解していくためには、予め文脈から次に来るだろう言葉を予測しておくことが有効です。人はただ受身で言葉を聞いているのではなく、与えられた情報を元に、未来に提示されるだろう内容を、心の中で次々に活性化させているのです。
その証拠としてN400という脳波成分があります。これは文脈から与えられた予想に反した言葉が出てきたときに、脳波が大きくマイナス方向に振れる現象です。単語の提示からおよそ400ms(ミリ秒)ほどに現れるNegativeな (=マイナス方向の) 脳波なのでN400と呼ばれています。
例えば
  The day was breezy so the boy went outside to fly a ...
   (その日は風が強かったので少年は----を飛ばしに外へ行きました)
といったフレーズの後に "kite" と来ればほとんどの人が予想通りだと思うでしょう。しかし、ここで"baloon"という言葉が出てきたら、「ありゃ、ちょっと予想と違ったぞ」と感じるはずです。このとき実は400msほどの早い段階で、脳は「びっくり反応」を示しているのです。これが脳が次に来る単語を予測している根拠とされるN400という現象です。
しかし「N400は言語理解において脳が行っている予測の証拠である」という意見に対し、「文脈にそぐわない単語は、処理にかかるコストがより大きいために表れた現象だ」という対立意見もありました。今回ご紹介する論文、は英語における不定冠詞の音韻的性質を利用して、脳が言語理解において予測を行っていることをはっきりと証明しています。

Probabilistic word pre-activation during language comprehension inferred from electrical brain activity
Katherine A DeLong, Thomas P Urbach & Marta Kutas
Nature Neuroscience (2005) 8, 1117-1121

この実験では、従来と異なり、不定冠詞"a"もしくは"an"の位置でのN400成分を比較しています。コンピュータ画面に
  The day was breezy so the boy went outside to fly ...
というフレーズを単語ごとに表示していき、この後に "a" + "kite" が来る場合 (予測していた場合) と、 "an" + "airplane"が来る場合 (予測していなかった場合) との2種類の文を作り、不定冠詞が画面に現れた瞬間の脳波を計測したのです。
 
もし、脳が次に来る特定の名詞を予測しているならば、その名詞に対応する不定冠詞まで予測は成り立つはずです。つまり母音から始まる名詞なら"an"を、子音から始まる単語なら"a"を予測するはずです。名詞まで予測していない限りは"a"と"an"に関する予測はつきませんから、もし、不定冠詞の位置でN400が見られたならば、これは言語処理において予測が行われていることの強力な証拠です。もちろん実験では様々な文を使って、どちらの冠詞がより予測されやすいかは、ランダムに統制してあります。
 
果たして結果は不定冠詞の位置でN400が観察されました。やはり人は、常に先を予測しながら言語を処理しているのです。
しかも予測していた確率 *1 がより低いほどN400は大きく出ます (=より脳はびっくりしているわけです)。この負の相関は名詞におけるN400では確認されていましたが、不定冠詞のようなわずかな違いでも観察されたのは驚くべきことです。
 
非常にシンプルな実験デザインですし、結果もあざやかです。もちろん、これは文がコンピューター画面に1単語ごと提示された場合の結果ですが、大まかな脳の処理は、話し言葉でも普通の書き言葉でも変わらないと思います。
今回の論文は、文脈に依存した単語の予測が起こっていることを明らかにしたものですが、僕は、文の階層構造の予測まで行われているだろうと睨んでいます。それをこれから示していくつもりです。
リアルタイムの言語理解のメカニズムはまだまだ謎が多いですが、これからの研究で、時間的な処理の流れがよりクリアになっていくと思います*2

*1:これは予め本実験とは別の被験者で穴埋めテストを行い、どの単語がどのくらい予想されるかを調べておきます

*2:N400とP600にこだわり続けても進展はあまり望めないと思います。最後にぼそっ。