神武天皇Y染色体の幻想

産経ニュースより (id:loi_loiさん経由)

「皇室が成し遂げているのは千数百年にもわたり、ほとんど同じ『Y』を受け継いだということ。われわれが直面しているのは、千数百年もの間純粋に受け継がれてきた『Y』を、いま絶えさせていいのかという問題だ」(動物行動学研究家の竹内久美子氏)

来たか、竹内久美子俗流遺伝学を恣意的に振り回して家父長制価値観の擁護を続けてきた人物である。
同志社大ITEC (技術・企業・国際競争力研究センター) の蔵琢也研究員(進化生物学)のような専門家までがこんな有様である。

蔵氏は「血のつながりとは、科学的に言えば遺伝子の共有率だ。男子皇族だけに代々受け継がれてきたY染色体は姓や家紋に似ているといえる。しかし、体の細胞に刻印されているという意味で、はるかに強い実体をもつ」と説明。さらに「皇室には、(初代)神武天皇以来、Y染色体という刻印が連綿と受け継がれてきた。国民や世界の人々はそれでこそ皇室の中に二千年の歴史の重みを感じる。女系相続は、過去と現在の遺伝的なつながりを断ち切るという意味で間違いだ」と話している。

蔵氏がどのような研究をされているかは知らないが、Y染色体の遺伝に関してあまりに狭い見解しか持ち合わせていないようである。Y染色体は竹内氏や蔵氏が述べるような、万世不変のものではなく、非常にダイナミカルな変化を示すものである。
 
Y染色体脆弱性に関しては以下のNature誌の記事が分かり易い。

The Future of sex
R. John Aitken, Jennifer A. Marshall Graves
Nature (2002) 415(6875),963

これに拠れば、Y染色体の特徴として遺伝子の欠落が起こりやすいことがあげられる。Y染色体はX染色体と相補的ではないため、組み換えによる欠損部分を補えないからだ (実は組み替え自体は起こっている、下記参照) 。進化の歴史において、X染色体より派生したとされるY染色体は、徐々にその遺伝情報を失い、今や初期の姿は見る影もない。結果としてY染色体を構成する約2300万個のヌクレオチドのなかには、わずか78個の遺伝子しか含まれていない。現在、Y染色体上に残っている遺伝子は、性の決定と精子形成に関わる遺伝子のみだ。
 
次に同様Nature誌のこちらの記事も。

Tales of the Y chromosome
Huntington F. Willard
Nature (2003) 423(6942):810-813

Y染色体には回文配列 (左右対称な鏡像配列) になっている部分が多く含まれるが、この回文配列は、男性の一世代あたり600塩基対という高い頻度で互いに組み換えを起こすらしい。Y染色体は自分自身との交配を行っているのである。
 
両記事は組み替えの事実に関して相反する意見を述べているようだが、これは焦点を当てるスケールの違いであると理解している。Y染色体内部での組み換えの事実が明らかになったにせよ、他の染色体に比べれば、やはり、組み換えに依る遺伝子保存力は弱いのだろう。前者は比較的大きなタイム・スケールでの話であるから、今回の男系継承の問題に関しては後者が扱っている現象だけ考慮しても良い。いずれにしろ結論は一つである。
   
はっきり言おう。仮に神武天皇Y染色体と呼ばれるものが神代に存在したとして、それが今上天皇に受け継がれている可能性は絶無である。
 
以前も述べたとおり、僕は天皇制そのものには思い入れはない。だがフィクションとしての権威を永年に渡って男系継承によって護持してきた、この国の共同幻想のエナジーは意義あるものとして感じている。(参照)
あらゆる過去の共同幻想が崩壊しつつある今 (勿論立ち代るようにして新たな共同幻想も次々に生まれてくるのだが)、天皇性というフィクションの維持のために、科学の説明力や物理的実在性にすがりたくなる気持ちも分かる。しかし、そこにはまた別のフィクションが待ち構えているのみである。
歴史的に産み出されたフィクションを維持していくのならば、別の次元のフィクションに説明責任を求めるのではなく、まさにフィクションそのものを如何にして強く信じていけるのか、という点こそ重要であろう。ヌクレオチドに還元されて (しかも誤った科学知識に基づいて) ようやく維持された天皇制には、もはや何の存在理由もない。男系継承という物語をリアルに感じられない時代になったのだとすれば、もしかしたら、(やはり)制度の存続自体を見直すべきかも知れない。