毎日の生態学

"Ecology"に相応しい日本語訳は「生態学」ではないでしょうか。
"eco"の語源となった「オイコス」oikosとは古代ギリシャ語で「氏族、家屋の集まり、集落」といった意味だといいます。複数の要素が有機的に相互作用することで形成されるシステム、さらにはシステム間の相互作用、そういったダイナミックな意味合いが"ecology"という言葉には込められているように感じます。これを「環境学」と訳してしまうと、急に静的なイメージになってしまいます。
そもそも「環境」は"environment"の訳語でしょう。"viron"は「円いもの、円環」を意味し、"en"は「中へ」といった意味合いですから、"environment"とは「環の中のもの」といったニュアンスでしょうか。自分を中心に円く線を描いて、その中のものを「環境」と呼ぶ。「オイコス」が能動的な意味合いを持つのに対し、「環境」は大分受動的な感じを受けます。
     海辺―生命のふるさと (平凡社ライブラリー)
「海岸線の形が2日も続いてまったく同じだなどということはありえない」とレイチェル・カーソンも述べるように、現在「環境」という言葉で指し示されているものは、本来、日々うつろいゆくものであり、人間のコントロールを超えた動態を示すものであるはずです。しかし現代社会においては、「環境」という言葉は、生物を「図」とすると「地」にあたるもの、人間によって破壊/保護されるもの、といった躍動感に乏しく脆弱なイメージを与えかねません。これは「環境」と言う語に内在する問題というよりは「環境」をそういう意味合いにしか位置づけられなくなった人間の活動自体に問題があったのだと僕は考えています。日本において「環境」とほとんど変わらぬ意味合いを託された「エコロジー」という言葉はコマーシャルな文脈でも非常に多用されていますが、どれもが本来のダイナミックなイメージを削ぎ落とされてしまっているように感じるのです。
まあ、言いたかったのは小沢健二の新譜のタイトルがイマイチ気に入らない、ということだけなんですが(笑)。
 http://www.bounce.com/news/daily.php?C=7064
気になる語彙としてはその他に"Jetset Junta"*1ですね。「空飛ぶ政府」とニュートラルな邦題が与えられていますが、"Junta"とは「(クーデター直後の)臨時政府、軍事政府、軍事政権、暫定軍事政権」といった意味のようです。だいぶ含みがありますね。
全てがインスト曲ということですから、タイトルとは無関係にクオリティの高い楽曲を届けてくれることを祈り、楽しみにリリースを待つことにします。

*1: 小沢のルーツであるモノクローム・セット『ウェスト・ミンスター・アフェア』に同タイトルの曲がある。