厭けました。

年末から論文執筆に明け暮れており、三日不眠で半日眠るというような滅茶苦茶なサイクルで生きていたために(16÷3.5)でまだ一月五日ほどの気分。新年の挨拶にはまだ遅すぎず。実にお目出たい。
作家が身を削りながら執筆に励むというエピソードには、たかだか机仕事に大袈裟なと思う半分憧れ半分だったのだけれど、ふらふらとコンビニの店員さんにビールを差し出しながら「温めなくて結構です」などとのたまうようでは憧れは現実の中に回収され霧散したと言ってよいだろう。実にお目出たい。
お目出たいといえば大正の銀杏 BOY (当時) 武者小路先生の『お目出たき人』。高校時代に無性に熱中して読んだものだ。主人公の男は話したこともない女に恋をし、彼女も自分に恋をしているのだと思いこんだまま何年も付き纏うというおぞましく涙ぐましい話である。主人公が妄想のままに書き綴ったとされる小品も併録されておりメタ小説的な匂いもする武者先生初期の傑作だ。

鶴は自分を恋しているのだ。鶴は自分の妻になるのだ。二人は夫婦になる運命を荷って生れて来たのだ。

翻って鑑みるに童貞ストーカーと研究者はよく似ている。恋愛および研究においては理想主義的かつ実証的たることが要求されるのだが、大概は理想が現実を歪めて見せてしまう。現実は否を明確に表明しているのだが、それすらも彼にとっては愛の証となるのだ。最悪、追い求めている対象は実在すらしないかも知れぬ。ただただ脳内の理想のみが彼を慰める。あなたは天才的な脳科学者だわ。脳の窮極の謎を解明できるのはあなたしかいないわ。

彼はこう書いて来て元気にはなったが涙ぐんだ。彼にはこう云う妹も恋人もないのである。

そして、脳髄が何故斯様な妄念を生み出すのか、彼にはそれすらも分からないのである。それでも彼は今年も理想に燃えて研究に励む。実にお目出たい。