意識、アクセス可能性、そして心理学と脳科学の噛み合わせ/ネッド・ブロック

Consciousness, accessibility, and the mesh between psychology and neuroscience
Block N.
Behav Brain Sci. 2007 Dec;30(5-6):481-99; discussion 499-548.

 
Behavioral and Brain Sciene』の昨年の最終号で、意識のアクセス可能性を巡ってネッド・ブロックと32グループに及ぶ論者たち (哲学者・神経科学者・心理学者など) との討論が行われている。抽象的な議論にあまり深入りしたくないけれど、とりあえずネッド・ブロックの要旨だけ、翻訳。
 

僕たちはどのようにしたら、現象的意識の報告を基礎付ける認知的アクセスのための神経機構と、現象的意識の神経基盤を分離できるのだろうか。実は「フォーダー的なモジュールの内部の表象が現象的に意識可能かどうか」といった硬直した形式こそが問題なのだ*1
方法論はストレートに見える。つまり、「明らかなケースにおいて (例えば、被験者が完全に自信があり、僕たちが彼らの権限を疑うべき明らかな理由が無いとき) 現象的な意識の基礎である神経的な自然種を見つけよ。そしてその神経的な自然種がフォーダー的モジュール内に存在するかどうか確かめよ」というものだ。けれども、ここで、難問が発生する。そうした明らかなケースにおける神経的な自然種の中に、報告を基礎付ける機構を、僕らは含めるのだろうか?
答えが「イエス」である場合、フォーダー的モジュールの中には現象的に意識される表象はありえないことになる。しかし、僕たちは、どのようにして答えが「イエス」であるかどうかを知ることができるのだろう。ここで示唆されている方法論では、その方法論が答えると期待される疑問に対する答えが予め必要となるのだ!
このターゲット論文は、この問題の抽象的な解決策に賛意を示し、適切な経験的なデータ源を示す。適切なデータとは、ある意味で現象的意識が認知的なアクセス可能性から溢れ出すことを示すデータである*2
現象的意識の神経基盤が認知的なアクセス可能性の神経基盤を含まないことを仮定するならば、僕たちはこの溢れ出し overflow の神経的な実在を見つけることができるはずだし、(他の条件が同じなら) 仮定によって可能となる説明によってこの仮定は正当化されるだろう。

 
どうやら、循環する議論を、同時にえいやっと解いて無理矢理解決する、らしい。だいじょぶか。オーバーフローとは具体的にどういうことか、はこれから読みます。

*1:訳注:『The Modularity of Mind』(邦訳 『精神のモジュール形式』) (Fodor 1983) の中で、ジェリー・フォーダーは、僕たちの初期知覚システムの多くが様々な意味でモジュール的であると主張した。例えば、僕たちはその内部状態にアクセスすることが出来ないし、報告が出来るようなタイプの表象も持たないと彼は主張する。

*2:訳に誤りがありましたので修正いたします。id:deepbluedragon さんのご指摘です。