プレイバックPart2

 
山口百恵ネタが続きまことにあいすません。
 
もちろん、直接演奏したことがなくとも、個人的な体験が音楽に絡みつくことは、誰にだって、ある。
例えば Moby の『18』は、僕にとって、サイゴンからハノイへと向かう長距離列車の夜の車窓とは切り離せない。バンコクカオサン通りサイゴン・デタム通りの違法コピーCD屋で買った何枚ものアルバムを、僕はその車内で、id:Lisbon22くん*1のCDプレイヤーを占有して聴きかじっていた。
2晩3日、リクライニングもない椅子に座り続けるタフな旅程だったけれど、車内の人々や窓外の風景のみずみずしさは相対座標の不動と疲労を補って余りあるものだった。
とはいえ、さすがに、日が落ちると、あれほどまでに騒々しかったベトナム人の活動はすっかり沈静化し、車窓は黒のベタ塗りのままになる。窓の外の漆黒の空間は草原なのか海なのか。ときたまぽつんと遠くに灯る明かりは、人家なのか車なのか船なのか。自分が見つめている風景が一体何を意味するのかも判らないまま、僕は小さな発光体を目で追い続けた。
 

the street bears no relief
when everybody's fighting
the street bears no relief
with light so hot and binding
 
I run the stairs away
and walk into the nighttime
the sadness flows like water
and washes down the heartache
and washes down the heartache
 
my heart is full
my heart is wide
the saddest song to play
on the strings of my heart
 
the heat is on its own
the roof seems so inviting
a vantage point is gained
to watch the children fighting
 
so lead me to the harbour
and float me on the waves
sink me in the ocean
to sleep in a sailor's grave
to sleep in a sailor's grave
 
my heart is full
my heart is wide
the saddest song to play
on the strings of my heart
 
my heart is full
my heart is wide, so wide
the saddest song to play
on the strings of my heart

 
Moby の抑制の効いたトラックとシニード・オコナーの深い声は、遥か宇宙まで続く暗闇すらも包み込んで響いていた。そうだ、heart は wide なのだ。so wide なのだ。と、何とか聴き取れた歌詞に無闇に相槌を打ちながら、僕はいつの間にか窓の外の闇と同化していた。
やがて優しい匂いが後ろから近づいてくる。夜食のお粥を積んだワゴンだ。
 
Mobyエレクトロニカ%ソウル$ゴスペル#テクノ(表記不可能)にはこのような思い出が髄まで染み込んでいるから、昨年の FUJIROCK FESTIVAL で彼のステージを目にしたときは拍子抜けしてしまった。ギターをかき鳴らして舞台の端から端まで駆け回る彼は、まったくの、ロック・ミュージシャンだった。おまけに AC/DC のカバーまで、披露してくれて、しまったのだ。いや、確かに、苗場のグリーン・ステージに立った彼は、最高のロック・パフォーマーだった。そして、彼が、ちょっぴり自分の声に自信のない、ロック・ヒーローに憧れたミュージシャンであることは、その音楽をしっかり聴けば、よくわかる。けれども、僕は、苗場の夜を、彼の深玄な音が充たして行く様を観たかったのだ。結局、それは、Moby をアジア旅行に無理矢理引き摺り出した僕の、勝手な思い入れに過ぎなかった。
 
一年前、彼の「生」を、僕は確かにこの目とこの耳で体感したけれども、いまだに、彼の音楽は、三年も前の、あのベトナムの暗闇と電車の振動を伴って再生されるのである。
 

*1:いや、ちがう、本当は、彼は、リスボンなんて、なんだか洒落た名前ではなく、「くん」づけでもありえない存在なのだけれど。大体当時の彼は『リスボン物語』は見ていないと思うから(多分)、この呼称は本当に不適切だ。アジア旅行に出る前に彼のアパートで観たビデオは、確か、『ギター弾きの恋』だった。