エレファントカシマシ SHIBUYA-AX 2006/06/27

 
ここ数年の自己省察路線の到達点であり、同時に肩の力が一気に抜けきった名作『町を見下ろす丘』を引き提げてのツアー。金欠の中、渇望を抑えきれず、当日券にて参加。チケット代を支払うと手元に残るは600円となったけれど、そのまま迷わず生ビールを注文。酒と音楽の他に金が何の役に立つ?といった気分で。
僕の見間違えでなければ、スタイリストの伊賀大介がロビーをうろついていたように記憶している。常連の大杉蓮は見当たらず。
 

01.地元のダンナ
02.悲しみの果て
03.So many people
04.デーデ
05.甘き絶望
06.男は行く
07.理想の朝
08.すまねえ魂
09.おまえはどこだ
10.ああ流浪の民
11.人生の午後に
12.シグナル
13.今をかきならせ
14.I don't know たゆまずに
15.なぜだか、俺は祷ってゐた。
16.はじまりは今
17.ガストロンジャー
18.ファイティングマン
 
アンコール1
19.ゴクロウサン
20.雨の日に・・・
21.今宵の月のように
22.武蔵野
23.てって
 
アンコール2
24.流れ星のやうな人生

 
アルバム『町を見下ろす丘』と同様、「地元のダンナ」からスタート。
この曲は「ディンドン」という擬音から始まるのだが、この一語が新作全体を現しているとさえいってもよい。僕たちは毎朝、暗い眠りの底から這い上がり、この世界の中心に立つことになる。奇跡的に、そして不条理に、今日という時間が始まる。自分の存在の無根拠さにもかかわらず、既に何かを背負わされてしまっているという、なんとも納得しがたい状況に日々新たに投げ込まれる。僕たちの存在の前提となる、この根源すら判らない暴力性こそが「ディンドン」 ―『ドグラ・マグラ』でいう「ブーン」という時計の音― であり、村上春樹における「ねじまき鳥」である。
などという御託を蹴散らすほどの力強いギターリフによって頽落から、まさに今、僕は世界の中に立った。
 

ああ 歴史上では、なんてちっぽけな生涯生涯。
ああ でも世界中でたったひとつだけの人生人生。
ああ 運命が俺をかりたててゐる
ああ まだまだ行かなきゃならないんだ。
行かなきゃあ、行かなきゃならない。

 
今回のライブはとにかくギターの石森が凄かった。
エレカシにおいては、石森こそが最も激しい転変を見せる存在である。一時はパンチ・パーマと肥満によってエレカシのヴィジュアル面に大いなる珍貢献を果たし、激痩せ後は人の良さそうな苦笑いを浮かべ、ボーカル宮本に気兼ねしたプレーを続けていた。ギターの音は常に宮本のそれよりも小さく遠慮がちであった。エレカシのライブにおける歯がゆさの根源は彼にあった。
それが今回はどうだ。達磨の如き形相で、弦を掻き毟るように弾く。緩急つけた演奏。金属が叫びをあげるような分厚い音。リズムに合わせて迸る大粒の汗がフロアからも見える。パフォーマンス(見せ・演技)はパフォーマンス(演奏)へと直結する。エレカシが初めて、フロントマンを二人擁するバンドへと変化したことを思い知った。曲によっては完全に宮本を食っていた。以前とは異なりソロでは積極的にステージの前方に出てくるし、演奏に没入しているため、ソロが終わっても前でがんがんに弾き続け宮本に引き戻される場面も何度かあった。
 

野望は疲れ果ててる
夢にゃあ傷が付いてる
思ひ出 時に鮮やか過ぎて
 
思い描いた日々と今の自分を重ねて
窓の外を眺めてゐた 重く垂れ込むる雲
人生の午後に 
 
いつの間にか随分遠くまで来てしまったみたい
自分だけの人生を見つけたくって・・・
 
キミを抱きしめたくて この世を抱きしめたくて
ああ僕らは生きてきたはずさ

 
オヤジ・グランジとでもいうべき「人生の午後に」は石森のへヴィーなギターあっての楽曲であることが、ライブを見て初めて了解される。ギターは極めて人肌の匂いにまみれた楽器であるだけに、奏者がどれだけ楽曲に同化できるかが問われることになる。宮本のこの歌を極限まで身体化できる人間は、石森を除いて、存在しない。
 

我ら男たちの楽しき夢は
俺に人のあわれを教え
ビルは山の姿を見せ
群れは孤独に気づかしむ ああ
 
ああ俺はひとり行く
ビルを山に見立てるために
浮世の風を味わいに
 

  
男よ行け 男よ勝て
俺はお前に負けないが
お前も俺に負けるなよ
お前も俺に負けるなよ
 
男よ 行け 行け

 
また石森の積極的なプレイによってリズム隊との結束度も断然と強まり、「男は行く」では、宮本の不羈奔逸なボーカルにも、足並みを乱すことなく、しかし柔軟に、対応し、バンドのタイトな演奏が逆に宮本に自由を与える。頼もしいジャム・バンドの様相すら示していた。15年前の楽曲が、全く緊張を失うことなく演奏されることに驚嘆を覚える。バンドとしての強度は間違いなく上がっている。病後のドラム富永も完全復帰といっていいだろう。特に「男は行く」を含めたエピック期のナンバーでは、ボンゾの衣鉢を継いだドラミングが冴え渡っていた。
 

今にはばたいてやる
そりゃ口に軽かろうが
お前は何處だ
 
ああ明日も陽は昇るだろう
そう我らは明日も生きのびるだろう
聴こえる町の音 そりゃ懐かしいだろうが
お前は何處だ
 
ああ誰か溜息をついた
光に輝く日々を胸に抱く
どこまでも続く想いを その想いを
誰が知ることだろう
 
ひとり行け 今日びも明日も
ひとり行け 今日びも明日も
 
ひとり行け 今日びも明日の日も

 

このままでナミダ見せて
かっこつけてもいい
生まれついた 民族の血は
忘れたくはない
いじけた ああ流浪の民

 
それにしても「おまえはどこだ」「ああ流浪の民よ」の流れは最高だった。どちらもライブでは初体験。20代から40歳に至るまで、答えの出ない問いを発し続け、血の通った「一人称の歌」を歌い続ける宮本に僕は全幅の信頼をおいている。一人称であるからこその普遍性というものがあってよいのではないか。彼の歌には生に対する責任性を強く感じるし、だからこそ、僕自分の生も奮い立たされるのである。そして宮本は新作の中で、答えの出ない問いに関して、清清しくも態度を定めたように感じる。
「男は誰だってヒーローになりたいのだ*1」という意のMCに続き新作の最後を締めくくる「なぜだか俺は祷ってゐた」が始まる。
 

 
素直であるとは戦わぬことではない。「ディンドン」がゆえに弥が上にも日々は戦いである。しかし手持ちの武器は朝目覚めるたびに何故だか魂の宿るこのカラダ一つしかない。諦めとともに新たな戦いが始まる。そう心の底から実感できるようになるまでに、僕自身、これから何十年かかるか、わからない。しかし先人の偽りのない日々の記録は必ずや僕をその地点へと優しく導いてくれるだろう。絞り出したようでもあり、穏やかでもある歌声を聞きながら、僕は行ったことも無い、町を見下ろす丘の上に立つ自分を夢想した。
 

この世の中にはそりゃあ思い通りにならないことは
いくらもあるってことはお前さすがの俺も百も承知だけどなあお前、
しかし、俺は折角のロックンロールバンドだ。
あいつらの化けの皮を剥がしにいくってことをなあ、さっき自問自答の末結論した。

 
僕が「べらんめえ・アゲインスト・ザ・マシーン」と勝手に名付けた「ガストロンジャー」は、打ち込みトラックとハードロック風ギターリフの上にべらんめえ調のアジ演説を乗せる怪異なスタイルが大いに反響を呼んだ楽曲であるが、結局エレカシはこのスタイルの使用を一曲に留めた。これは賢明な選択だったと思う。スタンダードなロックに回帰した後、宮本の紡ぐメロディーはスケールが広がり、自由に羽ばたき出すことになったし、逆に今でも「ガストロンジャー」の衝撃性は全く衰えを知らない。そしてライブにおいては毎回新たな「ガストロンジャー」が生まれているのだ。重低音の上で繰り広げられる詞は毎回のように流転するし、当初は DTR に合わせながらのやや硬直気味だった演奏も、今ではバンドと宮本の語りとの間に有機的な交互作用が生まれ、攻撃性が俄然増している。
 
ガストロンジャーから定番の「ファイティグマン」に繋ぎ、しっかり盛り上げて本編終了。
 
アンコールではテレビ中継が入っているためもあるのか、ヒット曲「今宵の月のように」もこなしたのだが、CDでの風が吹き抜けるような軽やかな演奏に比べ、重心がぐっと低く、まるで違うバンドが演奏したかのようだった。
 

俺は空気だけで感じるのさ
東京はかつて木々と川の地平線
恋する人には輝くビルも
傷ついた男の背中に見えるよ
 
武蔵野の坂之上歩いた二人
そう 遠い幻 遠い幻…
 

 
汚れきった魂やら 怠け者の ぶざまな息も
あなたの優しいうたも 全部 幻 そんなこたねえか…
 
俺はただ頭の中 イメージの中笑うだけ
俺はただ 笑うだけさ
 
武蔵野の川の向こう乾いた土
俺たちは確かに生きている

 
渋谷で聞く「武蔵野」は一層感慨深い。国木田独歩は、この会場のすぐ傍に居を構え、『武蔵野 (岩波文庫)』を執筆したのである。当時は、渋谷村こそが武蔵野であった。宮本はMCにおいて、独歩と渋谷について触れたが、果たして何人が、道路標識脇の独歩居住地の碑に気付いただろうか。全ては幻影の中へと消え行く。だからこそ、確かに生きていると実感できる、そんな瞬間をひたすら追い求めてしまう。
ブリッジでの歌詞のミスが残念だった。
 
アンコール終了後、鳴り止まぬ拍手に応え、再々登場。
 

遠い空からおちてきた 流れ星のやうな人生
何でぇ、行きあたりばったりだね びっくりすることばかり多かった
 
空から急におちてきた 流れ星のやうな人生
どでかい"何かに"あこがれて 若い頃から生きてきた。
いはば夢から夢へと綱わたり いつでも明日を追ひかけ回し
辿り着けない夜空の向かう いつの間にか随分遠くまで来た。
 
いい気になったり 落ち込んだりして 陽がしづみまた日が昇る
「何でぇ、結局 何も変はりはしねえ」
流れ星のやうな人生

 
新作の飄々とした諦念を最も良く体現した「流れ星のやうな人生」でラストを締めくくった。
ニヒリズムの徹底の先に何かが見えてくる、そんなライブだった。
次作での石森の貢献も楽しみだ。欲を言えばベース高緑にもっと主張をしてもらいたかった。

*1:これは、桜井和寿のいうヒーローとは全く質を異にする。と思う。