悲しいだけ
文化の日記したものを加筆修正す。
今日は久々に夜まで予定の空いた日であったから、文化の日らしく映画を見ようとか、デザインタイドにでも出掛けようかなどと前日からあれこれ考えていたのであるが、結局十一時頃宅配便に起こされ、しかし、再びベッドに戻り恋人に奨められて買った吉野朔実『少年は荒野をめざす (1) (集英社文庫―コミック版)』などを眺めつつうつらうつらし、次に気の付いたときには時計の針は午後三時をまわっていた。こうなると夜勤まではそう時間もないので、無難に家の近所で過ごすしかあるまい。この春から昼過ぎまで寝ていられるような暇など皆無であったし、無理に寝倒したわけではないのだから、体が眠りを求めていたに任せただけであり、何も罪悪などないのだ、これも一つの文化的な最低限度の生活。などと自らに言い訳をしてみる。この、眠りが罪である、という観念は眠気盛りの高校時代になぜだかある日芽吹き、それから消すことが出来ないのである。従って規則正しく目覚めた朝でさえも必ず自らへの言い訳から朝が始まることとなる。
寝癖を押さえつけゆったりとしたジーンズと洗い晒しの白いシャツにコートをはおり、やはり自らに対して休日の肩の力の抜けた出で立ちを演出する。このように私は何をするにもまずは自らに対して自らを提示して納得させるところから事を始めるので私の生の大半は無駄な内面の対話に費やされており、傍目からすると只の無為の人にしか見えないのである。
銀座通りと名付けられたいささか寂れた商店街も休日には人通りで賑わう。幸せそうな恋人たちや家族連れ。秋の青空の下、彼らは妙に眩しい。私は謂れのない罪悪感を彼らに対して抱く。私一人が真人間ではないような気がしてならない。顔を上げて前を見て歩くだけで精一杯である。日の丸を掲げた家屋がある。私は国家に誰よりも寄り掛かりながら国家を憎むろくでなしである。確かに私は国家を愛してもいるのだが、どうやら私の愛する国家は実在していないようであることに気付きつつある。疚しい。こんなときはドトールに逃げ込むに限る。愛してやまない喫茶店はどこかと聞かれたら、もちろん洒脱なカフェーを脳裏に描かないわけではないが、それでも必ずドトールと答えることにしている。確かに嘘ではない。ドトールは日本中のあらゆる街に存在する*1。遍在への愛が局在への愛に打ち勝つのは当然である。私は新しい街へ足を踏み入れる度にドトールへ入りグリッサンの言う全体性―世界について思いを馳せる。また、ドトールは安価で身構える必要もなく客層が広い。アイスコーヒーはスターバックスよりも何故か旨い。誰も私に興味を持たない。
窓に面した席に腰を落ち着け煙草に火を点ける。店内には背を向ける形になり誰も私の顔を見ることができない。そして私は街行く人を彼等に知られずに眺めやることができる。見張り塔からずっと。
There are many here among us who feel that life is but a joke
But you and I, we've been through that, and this is not our fate.
So let us not talk falsely now, the hour is getting late.
All Along the Watchtower / Bob Dylan
ブックオフで入手した藤枝静男『悲しいだけ・欣求浄土 (講談社文芸文庫)』を広げる。私は藤枝静男に関しては何の予備知識もなく、タイトルに惹かれて買ったのである。「欣求」という切実さと「悲しいだけ」という突き放した感覚が今の自分に相応しい気がした。後期の作品であるという「悲しいだけ」を読む。
故郷の藤枝へ墓参に帰った。妹の家に寄り、姉に会い、それから寺に行って墓のまえに立って暫くぼんやりしていた。
まわりのそこここに一族の墓が散らばっていた。齢老いた今になって、私は自分が嫌悪し憎んできた放埓な彼等によって逆に浄化されつづけてきたような気分に陥りはじめていることを感じていた。浄化は大袈裟だけれど、生来もって生まれた穢れが却って彼等によって溶かされ薄められてきたような気がするのである。自分の汚れ投影として長いあいだ憎悪し嫌悪してきたものが、実際にはその人々の一生と死とを追想することによって、少しずつではあるが剥がされて行ったように思われることがある。そして今はその人を懐しみ、詫びたいような気になることがあるのである。過去の自分のよろめいた姿が、彼等と同じ道を辿ってきたものとして心のなかに浮きあがってくる。そしてそういう私の生も、これから何年かすると終わり、私の何もかもは停止し、消滅して無機物に変換されてしまうのだ。
(中略)
私がこれ以上過ちを繰返すことなしに生を終えて帰って行くのを父母が待っていてくれるにちがいないという妄想がどうしてもある。私は皆とちがって理屈ばかり強く利己的で、瑣細なことをああでもないこうでもないと考えてばかりいるヒネクレた人間になってしまったから、皆のところへ素直に行くことは許されない。天罰だから仕方がない。しかし本当に、どんな苦労をしても最後には皆のところに行きたいのである。
「私」が無機物になって全てが終わってしまうというイメージと「皆のところに帰っていく」というイメージとが「私」の中で両立しうるのは一見不可思議である。医者でありマルキシズムの影響も受けたという藤枝と同様、私自身もまた唯物論者であり、私の肉体の消滅と共に全てが闇に帰するという観念を抱えているのだが、しかし、それでも、やはり、私の構成要素が戻っていく場所として南アルプスの麓、伊那谷*2をイメージする。私という存在が失われたとき、私の諸々の物理的構成物はやはりその起源である伊那谷へと戻っていくのが正しいように思われる。伊那谷では天竜川の飛沫や畑の土のひと粒ひと粒に命が備わっている。そこに私は千々にくだけて戻っていきたい。天国などという無味乾燥な場所は、もちろん向こうのほうでもお呼びではないだろうが、足を踏み入れたくもない。私がイメージする帰るべき場所とは生まれ育った横浜の町ではなく、何故か両親の生家のある伊那谷なのだ。
血は混乱を呼び起こす。血液はあくまで物理的存在物でしかないのだが、そこにルーツという虚構がまとわり付く。私は虚構を振り払わなければならない。私の肉体はここ三ヶ月喰らったマック・ポークとビビン丼とカップ焼きそば(塩カルビ味)、とにかくそういった都市部の貧者の食物から成り立っているのであり、伊那谷の豊かな自然の私に対する寄与など微々たるものでしかない。
「妻の死が悲しいだけ」という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している。これまでの私の理性的または感覚的の想像とか、死一般についての考えとかが変わったわけではない。理屈が変わったわけではない。こんなものはただの現象に過ぎないという、それはそれで確信としてある。ただ、今はひとつの埒もない感覚が、消えるべき苦痛として心中にあるのである。
私の頭のなかの行くてに大きい山のようなものの姿がある。その形は、思い浮かべるどころか想像することも不可能である。何だかわからない。しかし自分が少しずつでも進歩して或るところまで来たとき、自分の窮極の行くてにその山が現れてくるだろう、何があるのだろう、わからないと思っているのである。今は悲しいだけである。
夜勤の時間が迫っている。私は本を閉じて銀座通りを夕暮れの人波に体を預けて自宅まで流れる。このまま一生東中野の街から出て行けないのではないかという妄念にとり憑かれる。それでもいいのかもしれないと思う。研究者としての生活に鮮やかなものを期待しているわけではない。宮本浩次の言うように全ての生活が敗北と死に至る道であるならば、各人が各々の生活を丹念に描写していくなかで自然と他者に供すべきものが生じてくるはずである。そう信じたい。そのためにはまず生活の中から自らに供すべきものを見出さねばならない。そうして最期に大きな山のようなものの姿に辿り着くとしたらそれは望外の喜びとなるだろう。
牛肉としめじと水菜でいい加減に作ったすき焼きで腹を満たし、再び銀座通りを逆流し、電車を乗り継ぎ当直の駅へと向かう。制服は紺色の冬服に変わり、しかし、その制服はほとんど鉄道利用客の目に触れぬまま、私は終電が行過ぎるまで駅務室の中で本を読みふけり、終電後、五つの鮮度の高い吐瀉物を片付けて仮眠に入った。これが今年の冬の始まりだった。