GTD による自己管理と J.J. ギブソン

僕は高校の頃から指数関数的に自己管理能力を喪失してきた。期限と言うのは僕にとっては着手の合図。自部屋の床にはうず高く本が積まれ、それは書几をも浸潤し、その上に衣類の苔がむす。有機的なカーブの等高線が空間を覆い尽くしている。自分の愛するモノたちに埋もれるようにして眠る。そんな状況に僕はダダイスティックな喜びを見出していたのかもしれない。
でも気付いた。真摯に今、自分が置かれている状況、これから生きていくべき環境を見つめれば、頽廃の美と戯れる欺瞞は放棄しなければならない。それが本当の自己愛。
Getting Things Done: The Art Of Stress-Free Productivity
今、Geek の間では、David Allenという人物の提唱したGTD (Getting Things Done) と呼ばれる自己管理テクニックがブームになっている*1。自己管理ツールおよび、そんなものに管理されている人間を小馬鹿にしていた僕だったのだが、真のエゴイストたらんという理念の元に導入を決意。僕レベルのダメ人間には、ツールの優劣を論じるような資格も能力もない。継続できるかどうか、というのが当面の問題だ。
ただ、このテクニックの基盤となる人間観が面白いものなので、日本語によるわかりやすい GTD の紹介になっているこちらのサイトEdmeister's Homepageに依拠して、少し論じてみる。

GTD の極意は「頭をからっぽにする」ことにあります。私たちは一般に、仕事の能率が高い人は、たくさんのことを暗記して、たくさんの仕事の優先順位を脳の中で統括していると考えがちですが、それをまったく逆だと言うことを David Allen は言っています。

うん、デイヴィッド、なかなかいいことを言う。それゆえに僕は効率的な人間をジェラシーと共に批判してきたのだ。脳の中で有機的に絡み合った思考の混沌の中から画期的なアイディアを生み出す、というのが僕の理想だから、こういう能率のいい人間(頭のからっぽな人間)はつまらなく思っていた。いや、いかん、僕はこれから効率的な人間になるのだから、皮肉はやめて、妙な矜持は捨てなければならない。

私たちの日常は、それこそ信じられないほどの行動(アクション)で構成されています。(中略) GTD ではこうした全てのアクションを一度頭の中から取り出して、信頼できるシステムの中に預けてしまいます。これをアクションリストといいます。「なんだ、ToDo リストか」といえばその通りですが、頭のなかにある、「あ、あれやっておかなきゃ」という心配事が全てなくなってしまうまで、リストに何もかもを書き込んでゆくところに神髄があります。
こうしてからっぽになった頭には心配事も、ストレスもありません。この明鏡止水の状態で、頭の外のリストに取り出した仕事を片っ端から「やっつけて」いきます。(中略)
頭のなかから取り出した全てのアクションは、小さなものから大きなものまで含めると少なくとも百近い「やること」のリストになっているはずです。
こうしたものはすべて Inbox と呼ばれる受け皿にとりあえず保管しておきます。一枚の紙でもいいですし、コンピューターや Palm 上の ToDo でもかまいません。とりあえず頭のなかからとりだしておくことが重要なのです。

なるほど、これは精神衛生上も良さそうである。やらなきゃならないこと、心配事を全部忘れて穏やかな気持ちになる(=バカ)。強迫観念症の認知行動療法にも応用可能なのではないか。さて、GTD では、こうして何でも放り込んだ Inbox の中身を今度はラベル付けしていく。「今やれる仕事」「(他人に)任せる」「先送り」と言った感じである。
そして更にアクションリストにコンテクスト(文脈)を設定することで、能率は更に高まる。

コンテキストには時間、空間的なものもあって、書類を早く提出したいけど今は土曜日で事務室が閉まっているという場合は、そもそも、そのことを土曜日に思い出すのは無駄です。また、コンピューターの前でしか出来ない仕事を、バスの中で心配するのも無駄なことです。
こうした無駄は 100% なくすことはできませんが、すくなくともコンテキストにそってアクションを整理すれば、時間の能率化につながります。たとえば、車で外に出るときにやるべき、「外出アクションリスト」を作成しておけば、そこには仕事に関連した「A さんと会合」、「Bさんに挨拶」といったアクションの他に、「家族に頼まれた犬のえさを買っておく」、「旅行パンフレットを代理店で拾ってくる」といった封に、外出というコンテキストでできることがすべて書き込まれます。

この他にも、いくつかポイントはあるが、GTD の要点は

  1. するべきことは全部リストにして、頭の中をからっぽにせよ
  2. コンテクストに合わせて自動的に取り出されてくるリストに従って行動せよ

ということである。

つまりすぐに混乱したり、忘れてしまったり、抑鬱状態に陥ったるする、存外あてにならない脳よりも、もっとエネルギーコストが低く文脈に即した動きを取るシステムを信頼しなさい、ということだ。

実はこのような人間観というのは、認知科学人工知能、ロボット工学の世界でも大きな潮流になってきている。発端はアフォーダンスと言う概念を提唱した J.J. ギブソンだろう。
伝統的な認知科学では、人間は環境から刺激を受け、それを脳が意味のある情報に作り替えていくという行動モデルを想定していた。しかしギブソンは環境そのものに情報が存在する、と考え、環境が生物に与える情報(=動物にとっての価値)を「アフォーダンス」と呼んだ。人間は環境の中でアフォーダンスを探索する世界内存在なのである。
例えば自宅から会社までの通い馴れた道のりにしても、膨大な空間情報と適切な行動を逐一全て脳内に蓄えているというよりは、ある場面場面での適切な選択があなたを導いていくのである。交差点はあなたが右に曲がることをアフォード(許容)し、自動改札機はあなたが切符を挿入することをアフォードする。学習とは全ての情報を脳内に蓄積させることではなく、環境の与えるアフォーダンスに対して、適切な働き掛けの様式を形成することである。
 
脳を過剰な情報処理システムとして捉えるのではなく、情報そのものを環境の中に位置付け、生物と環境(文脈)との相互作用によって行動を捉える。
この様な「生態学的認識論」の視点に立てば、「知能」という概念は「あるタスクを適切に解決するための環境との相互作用のあり方」と置き換えることができる。例えば我々(のほとんど)は3桁の数字同士の掛け算を暗算で行うことができないが、紙と鉛筆さえ与えられれば筆算によって容易に答えを求めることができる。この時、我々に必要とされる能力は九九の暗記と足し算の繰り返しであり、暗算で必要とされるワーキングメモリの機能は紙と鉛筆によって担われている。
この場合、環境を無視して「3桁の掛け算をする知能があるかどうか」を問うことはナンセンスである。

エコロジカルな心の哲学―ギブソンの実在論から (双書エニグマ)
哲学者・河野哲也氏は『エコロジカルな心の哲学』の中で、ギブソン生態学的認識論に基き、障害者教育や福祉の在り方の再考を促している。脳科学の発展に伴って、知能や情動などあらゆる心的現象が全て個々人の脳に押し込められようとしている、という河野氏の警鐘は、我々、脳科学に携わる人間全てが胸に留めておかねばならない。
 
ロボット工学や人工知能の世界では実際にギブソンの思想に基づいた成果が現れてきている。
例えば MIT の人工知能研究所長の R・ブルックス教授は6本足で障害物に満ちたフィールドを歩き回る「ゲンギス」と言うロボットを作成した。このロボットがユニークなのは、「カメラで障害物を認識し、高さや幅などを分析してモデル化し、どう対処するか計画を立ててそれを実行する」といった中央指令的、トップダウン的方法を取らないことである。ゲンギスが行うのはただ、足に付いたセンサーが障害物を認識すると、それを避けるように足を動かす、という行動だけだ。この単純なアルゴリズムにも関わらず、このロボットはスムーズに、高速でフィールドを通り抜けることができる。ブルックスは、このロボットを「推論なしの知能」と呼ぶ。
また、チューリッヒ大学のファイファー教授も、制御系 (脳) と機械系(身体)、そして環境の三者間の相互作用ダイナミクスにより知性を捉える身体性認知科学を提唱している。制御系で煩瑣な重心計算を行うよりも、足の裏に柔らかな素材を備え付ければ、遥かに低いコストで安定性が得られる。
 
ギブソンの認識論は認知科学のみならずインタフェース研究やデザインの領域にも大きなインパクトをもって受け入れられた。その代表例が認知科学者 D.A. ノーマンによる『誰のためのデザイン?』だ。
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)
ノーマンは新しい製品が使いにくかったり、使用法を間違ってしまうのは、製品のデザインに問題があるからだとした。ノーマンは製品デザインの問題を分析し、ユーザー中心のデザイン原理を打ち立てた*2
以上、ギブソンおよびその影響下にある者たち(ギブソニアン)の思想を概観したのだが、ここでもう一度 David Allen 氏の提唱するGTDの要点を振り返ろう。

  1. するべきことは全部リストにして、頭の中をからっぽにせよ
  2. コンテクストに合わせて自動的に取り出されてくるリストに従って行動せよ

どうだろう。ギブソン生態学的認識論に驚くほどの類似が認められないだろうか?
個人の脳への過大な信頼を戒め、文脈へと情報を分散させ、環境との相互作用によってシステムの信頼性を高める。
僕はDavid Allen 氏のバックグラウンドは全く知らない。彼はギブソンなんて聞いたこともないのかも知れない。しかしノーマンが apple社の開発部門に関わっていたように、ギブソンの思想は IT 業界、デザイン業界を始め、幅広く浸透しはじめている。間接的にせよ、GTDギブソンからの影響を受けていることは間違いないのではないだろうか?
興味深いのはノマド的な香りすら漂うギブソンの思想も、廻りまわれば極めて資本主義的な人間管理ツールとして役立つということである。僕はコンテクストに合わせて提示される GTD のアクションリストに操られながら、全てを飲み込んでゆく市場原理のたくましさを実感するのである。

*1:David Allenの氏のサイトよりGTD のフローチャートPDF

*2:なお、ノーマンのアフォーダンスの解釈にはやや誤解があり、デザイン界で広まった「アフォーダンス」という言葉はギブソンのものとは異なる。http://www.fladdict.net/blog-jp/archives/2005/06/post_86.php