今夜,ある特定のバーで(ある特定の人間による観察)

日曜日からの四日間にわたる[缶詰[論文執筆]]*1にひと区切りを付け,へろへろになりながらも,とあるバーで三浦俊彦多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス』を読んでいるわけであるが,隣席の同世代と思しき女子二人の会話へふと耳を傾けると,エレクトリック・グラス・バルーン時代も含めたスギウラム氏や dip のヤマジ氏の話題で大いに盛り上がっており,そのレアな(と当初思われた) シチュエーションに大層驚愕した次第であるが,少し落ち着きを取り戻し,読みさしの本に立ち返れば,これは確率的直感の誤りがもたらした偽りのサプライズであることが理解される.
この場合,見落とされていた重要な前提は,シチュエーションの観察者がスギウラム氏もヤマジ氏も知っている他ならぬこの私である,という条件である.特定の文化的背景を共有する人間が類似した行動選択を行うのは当然であり,この時間この場所に私が存在していること自体がある種のフィルタリングの効果を果たしているのである.加えて,バーにおける膨大な感覚入力の中から特定の聴覚刺激へ注意が誘引される(カクテル・パーティー効果)ためには,観察者の中にそれらに関する記憶・経験が何らかの形で保持されていることが必要であり,このシチュエーションがピックアップされる必要条件にそもそも,観察者がこの私であることが関係している.即ち観察者は,全人類の中からランダムにサンプリングされたひとり,ではなく,他ならぬこの私である,ということが仮説の検証における重要な前提条件なのである.なんだか難渋な言葉を並べたけれども,噛み砕いて言えば,単純に,類は友を呼ぶ,といったところであろうか.私のような人間がこの時間この場所でこの種の人間と遭遇することにこれといった不思議もないのである.以上の考察に則り,私は興奮を鎮め平静を装い読書に戻る.
無粋な話ではあるが,たとえば,恋の始まりにおける奇跡的な偶然的一致(…! あの日あの時あの場所で出会ったあのひとがこのカフェにいるなんて…! え…⁉️ あのひとが読んでいるあの本って…!)というものは,殆ど以上と同様に説明が付こう.三浦氏は,ドラマ『トリック』における例を引用しながら,オカルトに引きつけられやすい性向と確率的直感の誤りとを結びつけているが,恋のきっかけもまた確率的直感の誤りによって与えられるのである.従って恋はオカルトである.とまで踏み込むと,これはまったくもって非論理的であろうが,しかし,事実として私は恋もオカルトも愛してやまない.実に科学にふさわしからぬ人間である.
ちなみに,以上の考察の妥当性は,私の酔いと疲労と乏しい哲学的才覚を理由として,全く保証されたものではない.とはいえ,読者のうち少なからぬ方々がこの奇妙な話題にご興味を示されるであろうことを私は確信している.なぜなら,このブログに目を通している時点で,あなたはランダムにサンプリングされた透明な存在ではないのだから.

*1:缶詰に関する論文の執筆ではなく,缶詰状態で論文を執筆することを指すための表記である.