概念構造は語彙に記載されているか(1)

Semantics and Cognition (Current Studies in Linguistics)
近年の生成文法において語彙の重要性が増してきたことに伴い、豊かな意味特性を含むものとして語彙を捉え、それらが統語構造にどのよう反映されているかを問うことに関心が集まってきた。Jackendoff (1983) 以降、語彙意味論の分野は活性化し、語彙概念構造 (Lexical Conceptual Structure: LCS) の分析を始めとし、 Pustejovsky (1995) の提唱による生成語彙論など多くの研究がなされるようになった。

本論では生成語彙論 (Pustejovsky, 1995) に対する理論的批判である Fodor & Lepore (1998) を取り上げ、Gennari & Poeppel (2003) における実証的研究が、語彙意味論における議論にどのような示唆を与えるかを検討する。また語彙意味に関する最新の言語脳科学の知見も合わせて論じ、今後のリサーチ・プログラムについて考察する。
 
1. 語彙意味の複雑さが言語処理に及ぼす影響

Processing correlates of lexical semantic complexity
Gennari S, Poeppel D.
Cognition. 2003 Aug;89(1):B27-41.

Gennari & Poeppel (以下GP) の研究は動詞の語彙意味内部に複雑な構造を仮定している点において Pustejovsky と基本的な概念を共有しており、 Fodor & Lepore (以下 FL) の批判と大いに関連する。GP はその序論において、Fodor & Lepore (1998) を取り上げ語彙意味の内部構造を否定する理論に対し、実証的な立場から批判・検討を加える立場を見せる。
ひとまず、このセクションでは動詞の語彙意味に表象されていると考えられる事象構造の複雑さと言語処理との関係をおそらく初めて定量的に検証した Gennari & Poeppel (2003) を概観する。彼らが述べるように、語彙意味の複雑さが言語処理に与える影響に関する先行研究はいずれも、その効果を観察できなかった (Fodor, Garrett, Walker, & Parkes, 1980; Rayer & Duffy, 1986 )。
GP は語彙意味に因果構造を含む「事象動詞」と、因果構造を持たない単純な事実を述べる「状態動詞」とを比較した。概念構造の枠組みに従えば、より概念的に複雑な「事象動詞」のほうが、より処理にコストを要することが予測される。

1.1. 実験1 (Self-paced Reading)
彼らはまず実験1において、事象動詞を用いた文と状態動詞を用いた文を被験者にセルフ・ペースで読ませ、文理解を問うテストを行った。計測するのは各単語を読むのにかかった時間である。読み時間の比較の対象となる動詞は頻度、語長、項構造、統語フレームの頻度の面で統制され、動詞が表れる以前の名詞句は同じものを用いた。また、主語と動詞の関係の妥当性には有意差はなかった。実験の結果、事象動詞の読み時間は、状態動詞の読み時間より27 ms ほど長いことが確認された。この反応時間の違いは動詞の位置でのみ観察され、純粋に動詞の違いが読み時間に影響を与えたことが伺える。

1.2. 実験2 (Lexical Decision)
彼らは先行する文脈が動詞の処理に与える効果を排除するために、実験1に加え、同様の2群の動詞において、語彙性判断の反応時間の比較を行った。ここで2つの動詞群では想像のしやすさ (imageability) に違いが見られたことに注意したい。2群の状態動詞を比較すると、事象動詞のほうが状態動詞よりも有意に想像しやすさが高かったのである。先行研究から想像しやすさは語彙性判断の反応時間と負の相関があることがわかっている (James, 1975; Pavio, 1991; Strain et al, 1995)。したがって、もし、事象構造の複雑さが語彙性判断の反応時間に全く影響を与えないとすれば、事象動詞の反応時間が短くなることが予想される。しかし、実験の結果、状態動詞の想像しやすさの低さにも関わらず、状態動詞の語彙性判断にかかる時間は事象動詞のものより22 ~ 23 ms 短かった。彼らは共分散分析を行うことで、想像のしやすさと動詞の種類との交互作用は存在しないことを確認している。

これらの結果から、状態動詞は事象動詞と比べて25 ms ほど早く処理されることが明らかになった。「処理」という言葉が、実際に何を指しているのか、という議論は後に回すが、この処理時間の差は、少なくとも2群のそれぞれの性質に起因することは間違いがないようである。この点に関しては、また後ほど触れることにし、次にFodor & Lepore による生成語彙論批判について扱う。
 
(2)に続く