走ることについて思うときに僕の流す音
投稿していた論文の二度目の査読が終わって返事が返ってきた。30 日で解析加えて議論改善しろ、って無理だよ。死む。なんだかいろいろうまくいかないことが多くて失速気味なのだけれど、そんなときは Cajun Dance Party を聴くに限る。身体のどこかに眠っていた疾走の感覚が蘇ってくる。息切れも隠そうとしない勢いが聴くものを奮わせる。
Colourful Life / Cajun Dance Party
Amylase / Cajun Dance Party
デビュー・アルバム『The Colourful Life』は本当に傑作。曲の展開が奔放で耳が離せない。ギターの自由にうねるリフと繊細なアルペジオの使い分けが巧い。バーナード・バトラーがプロデューサーということでストリングスの使い方も効果的だ。彼ら、ティーンエイジャーなんだよね。でもこのしなやかな疾走感は年齢とは関係なく才能なんだろうな。10 代のときの僕なんて今よりどんよりしていたし。明日は彼らの 12 月の来日ライブのチケット発売。お金ないけど買おう。なんだかこの年にもなると年下のミュージシャンがどんどん増えてきているのだけれど、たぶん彼らが初めてはまった年下バンドだ。スガシカオの転職も 28 歳のときだし、俺もそろそろメジャー・デビューしなきゃいかんな、と思う。これから一ヶ月間、走る。
Lets not forget, lets not forget what happened in the past
You were right / you were wrong, yeah but everything was fast
So when we build this ship remember to make it last
Amylase / Cajun Dance Party
精神医療と適応について考える。
(略)
今、私は、「治る」ことを、日常生活が送れて働けるようになるというように定義している。決して病根が私の目の前に曝され、それと対決し、完治させる、というようにはしていない。http://d.hatena.ne.jp/dadako/20080814
つねづね「治る」とはどういうことかと考えているのだけれども。精神医療的に「治る」は社会に適応できて抑うつ等の症状を発していない状態をいうのかな。「医療」という面から見れば目標地点をどっかに置かなければいけないのはわかるけれども、「治る」にもいろいろある(たとえば「寛解」と「完治」と「治癒」は違う)ということを指摘しておかないと誤解が生じる気がする。
dadakoさんは、発達障害も含めた精神医療全般について書いておられるが、私のような鬱病の患者に限っても、「治る」レベルにはいろいろある。
例え、今、私が今の環境に適応的であったとしても、次の環境に適応的でなかったとすれば、それは「治った」ことにはなるまい。今の私は、今の環境でさえも長期的には適応できていない。無論、私の想いとしては、病との対決を望み「普通」になるところまでもっていきたいのだが、それには精神分析などの長期の「治療」が必要になるだろう。そんなには人生は待ってはくれない。今の状況では、騙し騙し、少しずつ、長期的に、特定の環境に慣れていく、ということを、環境ごとに繰り返すしかないのだろう。
障害者職業センターへ通うのは、もっと体調が安定してから、離島の旅から帰って1ヶ月はしてからにしようと思う。
これに対して、僕はブックマークコメントで「"今の状況では、騙し騙し、少しずつ、長期的に、特定の環境に慣れていく、ということを、環境ごとに繰り返すしかないのだろう。" 程度の差はあるにせよ、これは健康なものにも共通するプロセスではないだろうか。」
と書いたのだけれど、少し誤解を生みそうだったので、私信で
(略)
先ほどのブックマークコメント、決して killhiguchi さんの苦しみを相対化するつもりのものではありません。うまく表現できていないかもしれませんが、何らかの特定の環境を抜きにしては「適応」が定義不可能な以上、どの環境にも完全に「適応」できる精神というものは存在しえないのではないかと思うのです。つまり無限の可能性を持つ環境への適応を想定しての「治療」というのは、はなからハードルを無限に高めているようなものなのではないか、ということです。そうである以上、「普通」、「健常」の定義というのも考え直す必要があるのではないでしょうか。結局、「健常」なる者がいたとして、やっていることは「騙し、騙し」であるはずです。むしろ「騙し、騙し」が可能かどうかがことの本質であるかのようにも思います。かと言って、僕に良い「治療」のアイディアがあるわけではありません。
僕は脳科学に携わっている以上、一定の実在論に与しているのでしょうが、しかしそれとて環境と身体と脳/心のループのレベルでの実在論です。脳 /心だけを社会に無理矢理フィットさせるような流れには反感を覚えます。けれども、いざ個人が苦しみを除こうとしたときに、アプローチできるのは結局脳 /心なんですよね。何とも中途半端で稚拙なコメントで申し訳ありません。
(略)
と書いたのだった。いかんせん僕自身も臨床の知識が不足しているので、全くはっきりしたことは言えないのだけれど、何かひとつの理想的状態 (そんなものは存在しないのだ!) への到達を目指すのではなく、むしろ可変性・多様性を増大させるような方向性の「治療」というものがあっても良いのではないかと思う。そのことで心理的ニッチが獲得される可能性が増大するはずだ。つまり「適応」は事後的に発見される。このような進化学の応用は可能ではないだろうか?もうそのような「治療」が考案されているのかもしれないけれど、ここ数年臨床は不勉強で。とはいえ、個人が多様性を手に入れたところで、社会の硬直性が放置されるのだとしたら、何だか割りを食うみたいで馬鹿馬鹿しいかな。
大元の id: dadako さんのエントリもご覧下さい。
発達障害の子どもたち 杉山 登志郎 (著) 講談社現代新書 1922 -明日刈られる麦
僕らが旅に出る理由 六つ目
ぼす「shokou5 くん、君の研究は素晴らしい。この最先端の知見をぜひ国際学会で発表してくれたまへ。」
ぼく「やた!初めての国際学会だ!僕の偉大な研究を世界中の人々に大いに知らしめるのだ!!さてさて、開催国はどこだろう?先輩たちはアメリカに行ったりカナダに行ったりフィンランドに行ったりしているぞ・・・ふむふむ会場は・・・ん!?Royton Sapporo・・・?Sapporo てあの札幌?しかもホテルロイトンって毎年ワークショップで使っている厚生年金会館の隣じゃねえか!何が国際学会だ!詐欺もいいところじゃねえか!」
ぼす「おほいにがんばつてきてくれたまへ」
というわけで、今月二度目の札幌へ。今から行って来ます!
野宿の旅、プライスレス。
島根県から無事帰ってきました。四日間のうち端の二日はまるまる移動に費やした。東京〜出雲の往復の交通費、4600 円、最終日松江で土地の美味と美酒に浸り、これまた 4600 円。宿賃、プライスレス。不思議な時間と金の遣い方である。そして再び研究の日々。
旅日記の途中のまま更新が途絶えると、まるで根の国に行ったきり帰らぬひととなったように思われてしまうので、とりあえず松江駅そばの居酒屋さん、遊食庭での最後の夕食を簡単に。写真が現像できたらまたいろいろ書きます。
岩ガキ。身がまるまると肥っていて、潮味と甘みの混淆に恍惚。
島根和牛のたたき。肉汁の海に浸る。
メバルの塩焼き。ここまでぷりぷりとした魚の肉は初めてだった。文字通り骨までしゃぶりつくす。
ひとり旅のデメリットのひとつは、料理を分け合う相手がいないので、たくさん注文することが出来ないということですね。
かはらもののこうた
不思議なことだが野宿をしてゐて朝まで際限無く蚊に刺され続けるかといふと、決してそんなことはない。確かに二三カ所は刺されるのだが、それ以上はどうやらその地域に於ける食糧供給の過剰が生じ辺りは吸飽きた蚊ばかりになつてしまうやうなのである。故に蚊音を無闇に気にしても詮無い。ポオタブルプレイヤアにて nujabes でも聞きながら気楽に寝過すが勝ちだ。二三口など宿賃に呉れてやらう。ふむ、安いものだね。やあ、今宵は良いねぐらを見つけたぞ。出雲駅南の小川に架かる橋の下だ。牛蛙が歌つてゐる。からあげくんも発泡酒もある。最高の旅の夜だ。
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本日は稲佐の浜にて禊を行ひし後杵築の宮に参じ奉り本殿を拝す。薄暗りの中に浮び上る彩かなる群雲に古の色彩感覚を目覚ましく覚ゆ。感無量なり。長生きなどすべきものにあらざれど暦の一巡りして後再び出雲を訪ふも悪からずと覚ゆ。自ら沸き出づる思ひに驚きを禁ず能はず。宝物殿、博物館にも参りて大いに学び興ず。夕餉には出雲蕎麦を食す。深き野趣に満ちた舌の楽しみに更なる段を加はざる能はず。出雲市駅側の湯屋にて湯浴みす。切妻屋根、仄暗いラムプ、竹林。いふべきことあらず。日焼けに湯染む。此れ亦楽しからずや。湯浴みし後コンビニエンスストアにて缶ビイルを購ひ興みつつ帰路を計ふ。時刻表リテラシイの低下を大いに嘆く。月満ち満ちて円かなり。夜の杵築野を優しく照す。明日は松江へ。
ひとつの時間の中にあって幾億も重なる昼と夜
夜の伯備線は生真面目すぎるほどに一歩一歩を確かめながら進む。停車の度に運転手は一両目の先頭へ出てきては、姿を見せぬ降車客を待つ。駅の灯火の他には何も見えず闇の中をただ過ぎ去っていくだけの無数の町たち。僕はこれから先もこれらの町を訪れることがないことを知っている。それでも、こうしてひとつひとつ踏みしめるように通り過ぎていくことで、今まで存在の有無すら心によぎることのなかった町にもひとつひとつ名前があり、そこに住む誰かがいるのだという感覚が染み込んでくる。それが嬉しい。
何時間も電車を乗り継ぎ深夜にたどり着いた出雲の町はやけに涼しく、道は広く区画もひどく整然としていて、人目を避けることができるような野宿に相応しい公園がなかなか見つからない。ようやく妥協して住宅街の小さな公園に身を横たえる。寝袋から露出した顔面に霧雨が降りかかる。明朝、出雲大社へ。
たびのおとも
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